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木に咲く花のように

木に咲く花が咲いている

春はこれがいい。

代表的なものはやっぱり 梅と桜か。

あとは、マンサク
モクレンやはなみずきなど。
春の暖かさと相まって、ココロが緩む。

…会社や社会もこの花の咲く木のようなものだ。

1.花をやることをゆるされた人

2.葉っぱをやるところまでしかゆるされなかった者

3.幹をやると決めたもの

4.あえて果てるまで泥まみれの根をやることにしたもの
  あるいは定められたもの

それぞれ、役割があり、果たさなければならない仕事もちがう

読者は、自分が『花が咲く木』のどの部分をやっているか
自覚できるだろうか、そしてそれはどれも大事であり、
その役目を果たすものがどれが欠けても
花の咲く木とはならないことを、自覚してるだろうか

…また、これに類することを人生に当てはめてみると

とくに花や葉は【持ち回り】であり、
いつまでもそれだけやれるものではない。

一生だとこんなところか

種⇒葉(または若葉)⇒芽⇒蕾⇒花⇒落葉⇒根(または幹)

花や青い葉の時間はことのほか短く、自分でそれを自覚し、
それを担う時間は一瞬だ。多くは過ぎてからそれを自覚する。

葉っぱの役目は、光合成により幹や花や自らが成長する
栄養分をつくることだ。そしてそれも期限があり、役目がおわると
自らが栄養分となるため、枯れて落葉する。

若い葉っぱがたくさん育ったのを横目でみながら
「さてと、そろそろ俺の番かな…」
といって皆に惜しまれながら落ちていくのだ。

これが自然の摂理だが、われわれの会社も「20世紀」までは
このしきたりを暗黙的に遵守していた。
「していた」←過去形である。いまは「していない」

まだ蕾にもなっていないものを「花」として利用したり、
もう「枯葉」で土に還るころあいなのに、自らの体に緑のペンキを
塗って「いや、まだ落ちないぞ」と醜態をさらす者たち。
「もう、葉緑素ないって…」

もう、花としての役目はとっくの昔に過ぎたというのに
いつもでもそれにしがみついているもの。

…どこをやろうと決めたにせよ。忘れてはいけないのは

花だけの木

根だけで地上に現れない木

などはないということだ、つまり それぞれが自分の責任をはたすことによって
やっと 「木」となる。
だから、花をやっているからといって慢心してはイケナイ。
「あなた方のおかげで、【花】をやってられます。やらせていただきます」
という姿勢が大切だ。これは「映画界」や「芸能界」だけの話ではない。

花になれなかった者たちも、
「しょうがないか…。なんとかあいつを俺たちの力で綺麗に咲かせてやろうぜ」
と、応援するココロになれるのだ。

まちがっても
「ワタシは、花なんだからもっとあんたたちサポートしなさい。」
…そんなやつは誰も応援しない

いわんや
「余は花である。下々のものは余のために働け。よいな」
などとやろうものならば、根や幹や葉っぱから愛想をつかされ、どこかにいなくなり
「ぽとっ」と花だけになってしまいます。

全国の社長さんたちに問いたい。
貴方は、自分が1~4のドレにあたると自覚していますか?

「うん。1だね。だから他の人のサポートを大切にしている」

なんて答えならば【社長落第】だ。

貴方は、『4』です。間違わないでください。
貴方は、自分以外の花になれる逸材を特定し、
大きくて綺麗な花にしてあげる立場にあるのですよ。

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