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2006年5月

オトーサンたちの居場所

ヘルプデスクは定時あがりだ。これはいいと思う。
この仕事をしているといいとおもうのは「非常に」規則正しい生活を送れることだ。

7時過ぎには夕食をとる。ひとりでだけど。

…んで、ジム(運動)か勉強かインターネットだな。
始めた当初は電車はかなりすいていたんだけれど、
いまはかなり込んでいる。定時上がりのサラリーマンが増えている。

で、このことは朱色会はいいことだと思ってい(た)
きちんと所定労働時間をこなし、それから
自分の時間を持てるなどどいうことはバブル期以前は
考えられなかったことだからだ。
したがって、このことは、誰もがよくなったことと捉えている
…と思ったのだ。

とくに、自分の自由になる時間を有意義に過ごせるなどは
前世紀は見果てぬ夢(私自身も10時帰りだった)で
ぜいたくなことと思っていた。

しかし、ちょうど昨日なんだけど、信じがたい会話を耳にして、
自分の耳を疑った。

朱色会は、時間を有効につかうため、たとえば調べモノの要点整理やブログのネタ帳は、
通勤時のなかでやることが多い。
私のブログで『バスがついた』というフレーズがあるのはこのためだ。

その整理をしているなかできいた会話に、仰天(←この表現より強力な表現を
したいので、ビックル一気飲み という表現を使わせていただきます。しかし、
これは比ゆですので、ほんとぅにビックルを電車に持ち込んだわけではありません。)
した会話について思うことを書きますって今回前置き長いな。

さて、私の左隣に座った中年(壮年?)の管理職らしいサラリーマン2人の会話の
ことば

『…いや~~、早く帰るのが「恥ずかしいん」ですよ』

『そうそう。…』

ななななななな、なんだとぉ~~う!!!
何をいっているんだ?ナゼ早く帰るのが恥ずかしいことなんだ
くぉのぅ~~~

…わたしはこの~~~と思ったので会話が発生している方を「びゅッ」と見た。
おそらくは、睨んでいたと思う。

そしたらなんと、そこらにいた立っているサラリーマンも
「そうそう」と同意である態度を醸し出しているいるではないかぁ~~~

ぐぉ~。

「早く(定時で)帰宅するのが恥ずかしいこと?」

なんも。全然そんなことない。恥ずかしく思うことはないではないか!
胸をはって、大きな声で、子供の耳に届くように「ただいま。」といって
いいんだよ。
いいんだよ。(今まで言ってませんでしたが、2回目は強く、読んでください。)

…即座に想像脳が『恥ずかしい』の意図を脳内空想始めたので書き留めておく

「ただいま。」

「あら、きょう()早いのね。」

ーーー
「ただいま。」

?あっ…すみません。ごはん子供たちの分しかないんです。」

ーー
このセリフを女房や娘から聞きたくないため、居酒屋やパチンコでひとり
黙々と時間をつぶすオトーサンが頭に浮かんだのだった。

ううぅぅ(泣
家族が全員そろって食事をとるのは、日本以外は【常識】なのだ。
日本以外だとマンハッタン島という国だけだ。つまり、ニポンは
特殊社会だっ(た)わけだな。

ようやく諸外国と同じ「豊かさ」を手に入れようとしている矢先において
オトーサンたちの居場所が用意されていないとは!!

単に物理的な席や空間のことを言っているのではなく、
「受け入れ先」のココロの居場所が用意されていないのだな。うーむ…

ニポンはやはり、『亭主元気で留守がいい。』が長年続いたので体制
が整っていないらしい。
このフレーズは、今後は使えないだろう。おそらくは永遠に。

だから、家でまっているひとはとりあえず物理的な体制は後回しにして
ココロの受け入れ体制だけでも整えてもらえないだろうか?
そうすれば少なくとも私が脳内で作成した想像会話は、現実化しないだろう。
…方法はまかせます。

朱色会にとっては、亭主が
『…いや~~、早く帰るのが「恥ずかしいん」ですよ』
といいはなつ「家庭」そのものが
…はずかしい。
たのむね。

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おんなたちの「本採用」

今日は、小噺です。

おんなと男ってこんなに考え方が違うのか
とおもう会話で記憶していることを書きます。

ゼンブが全部こぅではないだろうと思うのですが…
わりと朱色会も「納得」させられました…。

昨今は景気が上向いてきているため、就職活動にも明るい兆

しがでているそうで、いいことだと思う。

有形無形の不良債権を償却し終わった企業から、人を雇うと

いう本来の会社のあり方に軸足を向け始めている。当然のこと

だ。企業は金とモノのほかに、人を飲み込み、そして吐き出

す。(おぇっ)

…これはいまをさかのぼること数年前の
企業の雇用能力がどん底になるちょっと前の話だ。

ある飲み会で本採用された男女(同期ではない)と飲む機会

があった。そのときの話。両者とも就職ではやや苦労した。

私)いやぁ~~おめでとうおめでとう。

男女)ありがとうございます。

私)今まででいちばんうまいビールなんじゃないか?

男)そうですね。親もほっとしていると思いますよ

私)…そうだろね。まぁのめ。どんどんのめ。

女)いただきまんもす。(←当時のことば。)

男)ゴールテープ切ったって感じですよ。

私)おぃおぃゴールテープなんてまだこれからだろ。気が早

いんじゃないか?

男)…まぁそうなんですけど

私)キモチは解る。

…しばらく飲んでさわぐ。
就職は人生のくぎりかどうかで、話がもりあがる

私と男は くぎりでしょう
そして女は、 ぜんぜんくぎりじゃない

と意見がわかれる。かなり酔っ払ってから

私)じゃ、ナニがくぎりなんだ

女)やっぱし、結婚ですね。

私&男)おぉぅ(←バカ)

おんな)会社に入るのって女からしたら 結婚にいたる予備

試験みたいなもんですよ。

私)うぉーそうか!

おんな)競争率もさらに過酷だし、志望する『人間』は少な

いし、「採用枠」もたったひとりですしね。苛烈さからいっ

たら就職活動の比じゃないんです…

おとこたち)……(無言)し~~~ん。

…彼女はしっかりと、そして人生を悟ったかのように話した。
男はぐったりとしてしまった。
そういうもんなのかも知れないなと納得したのであった。
とくに、「志望する人間は少ないし…」というあたりから、
男(若者)のテンションがものすごく下がり、
眼の輝きがすこし翳ったことをよく覚えてる。

……酔っ払ってしまったのだろうか?(笑

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バームクーヘン作って「食べて」ますか?

菓子のバームクーヘンの話ではないので、それを期待する読者は退去のこと。

企業の状態を可視化する円グラフのことだ。といえば
「あっあれかと」通じるかな。

本日は、貴方の、貴方が勤めている会社の把握度と
あなたがどれだけ会社の人材として重用されているかが
わかるようになっているので、それについて興味のある方は
少々長くなるがお付き合い頂きたい。

ここまででよくわからない人は、これ以上読んでも解るまい。
ムリに自分の時間を浪費する必要はないので、退室願う。

まず、データを可視化する対象だが、
会社人として、期ごとあるいは年間の

・売り上げ
・利益
・コスト

につき概要を言えることはとても重要だ。
目標ではなく、実績。これがいえないとなると
まず、その情報を知らなくしてよく会社で仕事できてるなといえる
不思議なセクションとなる。

会社は「利益追求集団」だ。その詳細は後述するが
そのため、おのおの会社の構成員が基本的な情報を把握しておくことが
とても重要なのである。

ここで
「だって教えてもらったことないんだもん」
などとたわけたことを言わないで欲しい。そのような状態だと
いつまでもその基本情報を必要としない安い仕事を定年までやり続けることとなる。

xxx円。xxx円。そしてxxx円と当然のごとく答えてもらって
次に進んで欲しい。

さて、貴方に3つのやや大きめのバームクーヘンが配られる。
それをこれから切り分けて欲しい。

きり方については、上で述べた観点で、ある条件についてを決定しナイフを入れる。

たとえば売り上げについては
・部門別
・製品別
・拠点別
・品種別
・ユーザ別
など考えられるがどれを選んでもいい。

ほかも同様に「切ることができる」ことがとても必要だ。

ナイフを入れることができる人は、かなり社内の在りようについて概要を捉えている
といっていいだろう。

ナイフを入れることを、どのバームクーヘンでもいいが躊躇する人は
自分の不勉強を恥じるか、なぜ自分はこんな簡単そうな問いに屈してしまったのかを
自問自答して欲しい。

さて、切れたかな。それを同じ社員の人に説明してほしい。

説明ができれば、会社の概要をとらえている人 にレがつく人だ

説明につまったり、質問に答えることができなくても、落第ではない。

さて、それでは切ったバームクーヘンが同じ大きさの人これは合格だけど再試験だ。
観点が悪すぎるので、偏差がつくようにもう一枚新しいバームクーヘンを支給するので
切ってほしい。

「最初からいえよ」とはいうな。それも正解の必要条件の一つなんだから。

…んで、イチバンおおきな塊(ピース)についていろいろ話してほしい。

とくに、コストについていえば、大きな切り分けとなった部分の問題について
それを2位以下にする方法だ。コスト管理とは極端にいうとそれの繰り返しなのである。

いや、ちょっとイチバンおおきなピースはボスキャラなので
対策ムリとして逃げていてはダメなのである。

たとえば大きな切り分けをしたものを50%にするのと、ちいさな切り分けをしたものを
50%にしたのでは、全体からみた改善度がとてもちがう。

必ず、おおきな切り分けを2番目以下にしていく
とりかかりの順序として、それを踏まえていくことが重要だ。

そしてもうひとつ、切り方は百人百様だが、かならずどのピースから
とりかかるのかは、同じところに働くものとして意思統一をはかっておく必要はある。

なぜかというとAのピースを小さくするのに実はDのピースが大きくなる
なんてことは多々あるので、あるものはAをやり、また別の人はDをやるといってことに
なると効果相殺で全体効果が生まれないことがあるからだ。

企業の改善は
・バームクーヘンをまずつくることから始まり、
・切った結果につき、全員で承知してから、
・どのピースから(大きく)または(小さく)していくか決め
 そのときは一番大きなピースから取り掛かる⇒このことを食べるという
・対策をとって、実施したら、はじめにもどる

の繰り返しだ。こんなもんだ。
このような基本的な動きをコントロールできることが
貴方の会社を永続的に繁栄させ、貴方の給料を上げる『いろは』であることをいっておこう。

さて、ここまで読んでくれた貴方に質問をしてこの節を締めくくる。

「バームクーヘン。作って【食べて】ますか?」

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neon売り切りについてauに物申す

デザイン携帯電話であるauの
neon は4.29に製造を終了し、現在市場では売り切れで入手はほぼ不可能だ。

…どんなものでも人気機種はこのような運命をたどる。
 朱色会も入手をあきらめた。

発表が2月だったこのモデルの人気に火がついたのが、TVドラマへの『出演』と
携帯雑誌をはじめとしたメディアの宣伝であった。

ひょんなことからユーザから絶賛をあび、もてはやされ、人気が殺到し、
手に入らなくなる例としてベンダーはこの経験を生かしてもらいたいと思う。

翻って2nd市場では、とてつもない高値で売買されている。
まとめ買いした人や中間業者だろう。笑いがとまらないのではないか?

この市場の現象でユーザとしていえることは
より耳の聞きをよくして置かないと、とても自分のほしいものとの機種変更は
不可能だなという結論だ。しかし、たかがケイタイでこれほどユーザがパワーを
かけなくてもいい方法を、贈り手も考えてもらいたい。

朱色会のneonのロストの経緯は以下のとおり。

現在は、infobar系列のtalby。しかし、次の機種はデザインがだめなので見送り。

3月ごろにneonの存在を知る。そしてau直営店など訪問したがドコモ売り切れ(笑
予約も受け付けないという。『入荷したら出て行くということで、電話で入荷状態を
確認してくれ』とのこと。

いわれるまま、店舗に電話にてじゅうたん爆撃(これも大変だった。)をかけたら、
新規分はあるが、機種変分は売り切れ。※1

お客様相談センタに電話したならば一時的な品薄のため、しばらくまってくださいと
いわれる。※2

GW明けまで、直営店だけでなく出店など足しげく通うが、どこも品切れ。

そして最近。ネット上にて製造終了の情報を得。※3
お客様センターに電話をして確かめたらほんとぅにそうだった。クレームを2件報告した。

この事実につき、思うことがある。

まずは、業界の構造によるユーザ軽視の実態がうかがえる

前にも述べたが、携帯電話は、通信会社が『販売』する。メーカは
注文を受け、作るだけ。受注のためかなりムリをするが、その内容は省く。

ユーザとメーカ直結ならば、たとえば今後現れるPS3などは、品切れなど
心配する必要はなく、待てば手に入る。これはなぜかというと贈り手の理念として
『ほしい人にはつくって届ける』という企業理念がメーカには確立しているからだ。

しかし、通信会社がつぎつぎと四半期!ごとに新製品を発表するのは、
契約率(シェア)の拡大のためだ。
…だれが3ヵ月毎に新製品だして、既存製品を店先から撤去せよ
 といっているのであろうか。少なくても朱色会ではない。

 既存ユーザよりも、新規顧客開拓にご執心なのである。

つまり、ユーザになってくれればとにかく携帯を利用するしないにかかわらず契約
料金が入るため、ほかのシェアをうばうことが事業拡大の骨子となる。
そのため、人気機種は新規偏重の売り方となる。

販売店は、ノルマがあるのだろう。表向きは自由販売だが、
どちらのバックマージンが高いか想像すれば自ずと結論はでる。

5.28現在。(今日だが)いまもauの公式ホームページでは上記の公式発表はなく、
依然としてneonの広告ホームページは存在する。

ユーザが望むものを届ける。その気持ちを忘れないでほしい。
また、第2のneonを改めて市場に他を先んじて届けたものが、
次の勝利者になることは必定だ。

まっ…とはいえ弁護もしておこうか
実は、デザインケータイはあたりはずしが大きい。携帯の新製品投入がとまらない
のは、ユーザのニーズであることも事実だ。現実に携帯を1年程度で
機種変更するひとも知っているし、携帯もオーバースペック商品まっしぐら
という感じで、ユーザのニーズに対応するためやむ得ないということもわかる。

この問題でババを引いているのはやはりメーカだ。人員を投入し納期に向けて
多機種をバイヤーに提案する。もちろん台数もそこで決めウチでやる。そうしないと
投資を回収できないほどギリギリギリのコスト競争なのだ。
たとえば5万台なら5万台きめうち。アトはなし。
人気があるのであとから7万台追加してくださいができない産業構造となっている。

ユーザの思惑・メーカの思惑そしてバイヤの思惑がバランスされて
一機種・一機種ごとのビジネスが企画決済され、総括されている。

ーー
街中を歩くと、まだ、neonの宣伝たて看板を撤去していないところも散見されるが
その一方で、次期機種(色具合同じ)が不振のため、平積み投売りされている
現場をみた。

 ユーザをなめるからそぅいうことになるのだよ。

結論として、このようなユーザを軽視する携帯通信会社は、
番号ポータビリティが実施されれば、ユーザからどういうしっぺ返しを受けるか。
いまから考えてみてはいかがかな?携帯通信会社さん。

ユーザの人気(需要過多)による売り切れではなく
販売会社の目論見不足(供給過少)による『売り切り』なことが
本件のユーザの納得性をなくしている。猛省と実質的な対策を望む。

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DAISY

今日はデイジーを観たんだけど、いつもならば
ダメであれば、ダメなりに、ヨければヨいなりにガンガンコメント
をかけるんだけどなかなかどぅいっていいかわからない自分がいる。

映画通として映画を愛しているから、
どんな映画でもコメントが可能だと考えている。

何に感動したのか、何がダメだったのか的確にいままで
伝えてきた。それは名作だろうとダサくだろうと
どちらでもやれてきたのだが、

不思議と、デイジーに関しては
何の感情も生まれてこない。

うーん。こまった。ホントーに。
感性が、鈍ったのであろうか(焦こんな感情ははじめてである。

書くことに熱を帯びていない。
いつものように紹介記事は書かないから
思ったことだけを書いていく。

映画を観るときは気合が入るものだ。
それは入場料を払い、自分の時間をつかい
できればココロに何か感じるものがないかと
おもって赴くのである。

まず、配役としては特に問題はないだろう
ヒロインは、韓流をかじった方ならば誰でもわかる
天才肌のチョン・ジヒョン。

そして、ヒーローは二人。
消しゴムのチョン・ウソンとイ・ソンジェ。
いぃおとこふたり。

よって話のキーは、男女の永遠のテーマである三角関係である。
とてつもなくきれいな三角関係だ。

ウソンとソンジェは汚く対立しない。
しかし愛欲というものはこんなにきれいなものなのだろうか
と穿ってしまうのは、朱色会が汚いのだろうか?

女を取るというのは実際のところこのような冷静さや
紳士的な振る舞い伴うものではない。男は動物のようになる
もっと汚さが伴うものだ。それがリアリティとなる。

映像は美しい。もっと色を引き立ててほしいとおもったが
アムステルダムブルーを基調とした西洋的な雰囲気が
画面から滲んでおり、それはたいそう物語を引き立ている。

途中ではいる三面鏡は驚いたが、映画のスタンダードな表現
ではないものの、面白い試みだと思った。カットとはことなる
表現手法で、おもしろいと思った。

ヘヨン。君を愛したのが間違いだった。許してほしい。

と、ウソンが云うんだけれど人を愛することに間違いなど
あろうはずがない。殺し屋だろうとなんだろうと人を愛する
資格はあるのだ。

そして、もうひとつのテーマは「告白」。
なんとなれば全ての世界は「告白」から始まり、そして
哀しいことではあるが「告白」をもって全てが終わる。

告白できない男2人。しかし、前述したように告白は重要だし、
やるべきときにやっておくべきことだ。特に男にとってはね。

観客は映画に出遭うのであるが、実は映画の中にでてくる
キャラクターに出遭うのだ。そして映画を終えても、
彼らはこの後どうなるのだろうかと想像することで、映画が
終わったあとも登場人物は観客の心の中に生きていく。

…しかし、この映画については、このことをするのが
難しい。とうとつな死。もちろん現実でさえそれは起きるのであるが
映画は、物語であるため、登場人物の死は
伝えたいものを効果的に残すため、活かすべきある。
死を活かすなんて…変なこといった。

評価:55点。

さらりと入り。そしてさらりと頭の中から抜けていく映画。
心中に残るものが少ない。そんな映画だ。
チョン・ウソンファンの方は、
チョン・ウソンのかっこよさに心酔できる。それは断言しておこう。

話は面白い。描き方によってはもっと観客に訴える作品になって
いただろう。それが何かを伝えるべきであるが、表現できません。
ごめんなさい。

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千葉そごう全館改修評価

うーむ…。ダイニングパークねぇ。公園か…

そごうって、「公園」をどぅ捉えているのかな?
本日、千葉そごうが全館改修を果たし、リニューアルオープンを果たした。

金曜日だといふのに、千葉マダムを中心にデパート大好き人間たちが
客として新しい階を中心に集まっている。
この現実はオトーサンたちは知らないだろうな。
私も風邪を引いて休んでいなければ知らなかった事実だね。

千葉のおトうさんは次の会話を楽しんでほしい。
「おいっ。今日はそごうにいったのか?」
「行ったわよ。それがどうしたの?(妻&娘)」
「…すみません。(父)」
うぅぅぅ(泣)

本物の植物を植えているダイニングパークでいえば
よくも悪くも今までのそごうのメシの階のイメージを全て覆した
提案となっており、興味深い。

以前は、やはりちょっとお財布の中身に余裕のある人向けの階と、
デパートが好きな人向けに手軽に食べられる階と
2階構成となっていた。店舗の配置や通路に余裕が見られた。
しかし、今回は食べ物階は1階となり、
とにもかくにも名店の積み込みを果たしている。
おそらく、フロア面積あたりの入店数は、全国随一である。
おそらくギネス申請中だろうな。

とにかくたくさんの名店から、食べるものを選びたいという
お客様の要望は、間違いなく満たされる。
ひとことで著すならば、デパートレストラン版ドンキホーテという感じだ。
ドコに何があるかを最初に把握することはムリである。
ややカブっている店舗もある。

まっ。なんだけど、そのせいでの弊害もかなりある。

どの店舗も、小規模店とならざるをえないので、間取りが狭いのである。
ほとんどの店が100席ない。
そのため、どの店舗や共有エリアもやっているのは
空間を広く取るためのやっているコの字装飾や
鏡などの空間を広くみせる工夫。と、レイアウトによる工夫。
厨房も激せま。いわゆる鶏小屋状態で、大変だなと思う。
客とスタッフの導線障害が起きている店舗もあり、
これは改善した方がいいだろう。

また、残飯などの輸送もオープンエリアをつかっており、
本来はこれは裏手に確保するべきことなので、そこまでスペースを
切り詰めているのか!!と書いていて落涙した。ぐすん。

レビューを書いている時刻は3時だが、やっと一通り、
行列待合席はクリアされたようだ。
2時くらいまでは初日だというのに待合席までいっぱいだったのだ。

これは、予想でしかないのだが、
テナント契約は、定期ではなく、集客力を発揮できる店舗が生き残っていく
いわゆるラーメン劇場方式だろう。
それをうかがわせる人間の動きが散見される。

・待合席の数を確認する店長とフロアアテンダントM
・他の店を偵察する店長たち
・偉いひとたちの巡回もひっきりなし

レストラン階になみなみならぬ気合を感じるそごうからお伝えいたしました。
つづく。
ーーー
入ったのは、以前からチェキしていた『中村屋』
歌舞伎でもラーメンでもないぞ。パンとカレーの老舗だ。

・ビーフカレー(カリーと言い直された。くすん。)
・ビール小
・ナン(単品)
・トマトサラダ
・マンゴープリン
を頼んだ。

うまい。うまいなぁ。中村屋さん。
カレーは、テナント料などのコストを考えると、量・質・雰囲気・価格とともに
合格点です。アテンダの大野さんの対応がよかった。
かわりに数字を背負っている店長は、営業スマイルと内部への厳しさの顔の
格差が大きかった。(それをするのは是です。でも客にみられちゃいけないよ。)

カレーは、老舗らしくコンサバティブなもの。
プリンは、マンゴープリンマニアの方でもご納得いただける品になっているので
とくに良く書いておこう。ぷるぷるしてましたよ。スプーンにすくって、ぶるぷる。
カレーのデザートとして最高だね。

ーー
あとはだらだらフロアを練り歩いたが、高めの価格設定の店が多い中
豆腐料理の福ろく寿は良心的な価格となっているので、こんど試してみようかな。
こんど試してみようかな(2回目)

ーー
…でつぎ、その下の階のくらしフロア
いや、本屋サイコーにグレードアップ。珈琲ショップとのコラボとか
キッズコーナの充実が素晴らしい。本屋として体がきちんとなされている。
素晴らしいリニューアルだった。難をいうと室温がかなり低め。寒い

あと、小さな店があつまった、
古い建材でつくられている商店街【趣味の街】がすばらしい。
ほほがゆるんでしまった。ここも小規模店が犇いている。
ーー
その下は殆どLOFTが占めている。特筆すべきところはない。LOFT。
フロア構成の関係で、非常口の経路がわかりにくいので
フロア長は、要検討してくださいまし。

チワワ。かわいいなぁ
ーー
んで、最後は、デパ地下。

基本的な構成は変わっていない。しかし、なくなった店もあるね。
特徴は、やはり小店舗化による商品の多角化多様化となる。
売り子のみなさんも、旧そごうの『うちはそごうにはいっている』という
驕りはすべてなくなり、お客様本位の対応に変わっている。

うまいトマトをみつけたので、即購入した。氷で冷やしてビールでやる。
『みっちゃんのニコニコトマト』
すげぇ甘い。

ーー
あす、あさっては大変な激混みパニックとなるため、
おしくらまんじゅうや長~い行列がすきな方向けの状態となるのが必定なので
落ち着いて変わったそごうを見たい人は1Wくらいずらしていったほうがいいだろう。

今回の改修のテーマであるところの【遊覧】はできると思う
…込んでなければの話だ。ただし、込んでいたならば
浦安DL.DSと同じ状態になる。

そういう場合は、次の言葉を連呼してがんばろう。
『おしくらまんじゅう♪押されて泣くな♪(くりかえし)』

(テーマ「パーク」もいいけれど、看板から期待していたのは「公園」
だったので「ほっ」とできるかなと思ったんだが、この是非は1ヶ月を
待たずしてでるだろうから、それに対応してくれればいいさ。)

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四季賞「CURE」(前邑恭之介)

前邑恭之介氏の「CURE」が【四季賞】を取った。

アフタヌーンは、珠玉な作品が、スペリオール並みに多いが、
「CURE」は、それらのレギュラー作品に引けを取らない出来栄えだった。
うーむ。さすが【四季賞】だ。

実は、あやうくアフタヌーン本誌⇒あとでよむためキープ。
付録⇒どぅせフィギュアでしょ。⇒ゴミ箱行きとするところだったのが

ガソリンスタンドで洗車待ちがながくなったので時間つぶしに
読んでみることになったのだが、洗車が完了したのも分からぬほどに
『入って』しまった。素晴らしい作品だ。

事故+闘病ものだが、少年のピュアな感情が
荒削りな表現のなかにも的確に表現されており、
大変感動した。

特筆すべきは、
病院の生活のリアリティある表現と、主人公の心理描写だ。
まるで、作者が経験したのではないかと思えるほどの
描写力で、それだけでもマンガのテキストと使えるほどだ。

また、映画のようなカットのきり方や
映像表現も素晴らしいといっておこう。

バイプレーヤとして出演している登場人物にも深みがある。
・看護士
・おじさん
・母
・主治医
キャラクターをよく捉えていて、出方のバランスもいい。

まっ、この映像の濃密さを連載でやるのはちょっと贈り手も
そして受け手も大変であり、賞取りとしての作品としてみる
べきところもあるのだが、それはそれとして作品に賭ける
前掛かりなひたむきさが絵にこめられている。

最近、描いていてマンネリを覚える同業者は
初心に帰る意味でも、読んでもらいたい。
もちろんマンガを愛している読者のかたにもお勧めしたいです。

さて、この作品は、アフタヌーン7月号のオマケ別冊です。
是非ご覧ください。

「映画」のような漫画。それが、「CURE」だ。
テレビドラマ化を希望します。

ーー
別冊化したのがいい効果となっていると思う。Vol.2なんだ。
Vol.1見逃したな。

ーー
さて、きっこの薦めたTV雑誌を始めて買って読んでみたんだが…
うーん。どの記事もそれほど「オッ」っというものがなかったんだよね。
きっこの紹介記事も、約6年で、ネット界事情通女王に君臨すること
になった理由の分析もない。
なぜこれほど読者(ブロガ)に支えられているのか掘り下げが足りない
など私が編集長ならばやり直しを命じるのだが…。
映画評はぐずぐずだし、ごめん。もう多分買わない。

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σ(シグマ)な人たち

明日から2日間休暇をとる、なかなか風邪が治らないため、
ゆっくり休養をとることとした。そのため、今日の話は<軽く>いきます

正規分布にて2σの外にでる確立は、やく5%
これらの方をシグマな人と呼称する。

たとえば会社。会社は、これらの人々で回っているようだ。
上位な組織にいるというよりは、事業遂行に欠かせない能力を
発揮するという正規分布である。
この人材が流出すると、文字どおりその会社は
存在価値が0となる。

σな人はそのため、自己での意識にかかわらず
自信過剰な方が多く、エリート意識ももっている人が多い。

たとえば政治。国会議員という範疇では、
国会議員を使う立場にいる人々だ。
政党の方針を承認したりするフィクサなどが該当する。
国策の決定機能のメンバーなどかな。

サッカー。プロ選手だと、代表選手が該当する。
(なんとか決勝進出をお願いしたい。)

野球。学校でマジメに野球をやっていた人は思い当たるだろう
σはベンチに入れた人びとだ。どんなに野球がすきでも
才能が開花しなければベンチを暖めることさえできない。
野球一流校では、万年補欠にも成れず3年間スタンド声援で
終わる人もいる。σの法則は冷徹で、たとえば
ドラフトで監督の周りで笑顔をつくる若者が6名誕生したならば、
そのシーズンにバットを置くベテランは確実に6人生まれている。

σな人々は集合の自然の摂理なので、どうやっても
生まれてしまうものだ。ただし、彼らは往々にして陥ってしまう
ことがある。

『全体集合のなかでは、σな人は少数である』

ことをいつしか忘れてしまうのだ。
どうやってσでない考え方を持ち続けていけるかが大変重要だ

コスト管理や効率を考える際に、とくに注意が必要だ
極端な例としてσだけに富があつまったとしよう。
そうするとこんどはお金の流動がとまり、経済が枯渇する。
お金は、天下のまわりものというが、天だけに回っていては意味がないのだ。

最期に、実はσな人は、本当にσな人と自称σという亜種がある。

『おれ。σ』なんて自分を云う人は自称σだ。実はσではない。
本当のσの人は他人からそう思われ、σでない人たちから選ばれた者である。

…ただしくその自己の才能を使ってほしい。

驕らず。
敬虔に。
そして、誠実に。

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朱色会の「失敗」

穴がはったら入りたい。いやらしい意味ではない。

ふと思い出す過去の失敗であ”~~と頭を抱えることがある。

思い出すだけで、頬が熱くなる。
恥ずかしいけれど、話しておきます。

読者のみなさんの中にも昔幼少のころに
「コロコロコミック」という少年漫画雑誌にお世話になった御仁は
いるだろう。

いま、あるか不明ではあるが、私も「コロコロ」はよく読んだ
ころころ という語感が頭に残ってしまっていた。

そして、あの事件がおきてしまったのである…。

とても暑い日だった。○ニストッ○にて冷たいものでも
飲もうと思った。朦朧としていた。

可愛い娘(店員二人)がいた。かっこよくたのもう。

上を見上げるとカキ氷のようなアイスクリームが
ディスプレイされている。ふぅん。コロコロっていうのか。
よしッこれにしよう。

「じゃ、コロコロひとつください。」

…一瞬沈黙が支配した

「…フロフロですね。xxx円になります。」

「えッ…ふろふろ?アッ!」

…ここで、釈明をさせてほしい。
確かに間違った私が悪い。しかし、ほんとにフと言う文字の
下のはらい部分の曲率が大きく、コと見えるファントだったんだ!!
信じてくれ!フォんとです!!

ふろふろ⇒フローズンフロートの略だろうおそらく。
どうやってもコロコロは正式名称は出ない…。

帽子をまぶかに被り直し、あわただしくもおつりはしっかりもらい
びゅんとコンビニをでた。もう熱風は感じない。
自動ドアが閉じるか閉じないかといううちに
背中で「ぎゃははははは」と弾ける大笑い…

『笑うな。笑うなあ』

君達だって間違うときはあるだろう?
人の純粋なあやまちを嗤うなんて………。

それからしばらくしてから、フロフロは店頭から消え、
ハロハロが新製品として店頭にお目見えした。

おそらく、私と同じ過ちをした人が『自殺』したのではないだろうか?
どうかな?(←どーかなじゃーねぇ~~)

…もう、そのコンビニには近所なのに1年以上いってない。

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自由競争の結果としての統合

規制緩和をして、市場の既得権を撤廃していくことで
自由競争を生み出し、正常な競争のなかから新たなる強い産業を生み出す。

このように、文字をキーボードで打ち込んでみると
小泉路線とというのもあながち間違ったやりかたはしていないと感じる

理念は、いぃんだよね。理念は。
しかし、現実の動きはどうなのだろうか?

まず、銀行。
不良債権を返しきれそうだという
この企業努力はみとめるべきだと思うけれど
合併による合併でもやはマトモにそらんじることができなくなった
銀行名をもつメガバンクのみが結果として生き残った。

本来は、多くの金融商品がうまれ、また、新たな銀行が生まれ
その新たに生み出された銀行が新たな金融商品を市場に生み出す。
多くの銀行がうまれ、市場では多様な商品をユーザが選んで
いくことができ、その中で古い銀行も変革を余儀なくされる
はずだったのでは?

確かにいくつか新しい銀行は生まれた。しかし
メガバンクをおびやかすどころか存在の維持さえ危ぶまれる銀行も
散見する。結局資金力がものをいう世界ということであるなら
最初の目論見通りにいっていないことになる。

つぎ、流通
2強のほかは、あたらしい芽がでてこない。
旧郵政の宅配も、それほど新しいサービスは始めていない。

航空
規制緩和で、多くの新しい廉価な航空路が生まれたがほとんどが経営的に
厳しく。これも2強のサポートでつながっている。

そしてメーカ
世界に冠たるデジカメとケータイ
デジカメについては、古参のメーカがつぎつぎと店じまい。
Cの一人勝ち。K+Mもデジカメから撤退した。

ケータイもおおくの製品がでるものの、以前ほどの勢いがない。
いろんな業種との業務提携で生き残りを図っている

様々な新しい会社が「独立」し、市場に挑戦し、伸びていく社会を目指していた
はずが、既存の会社が合併し、資本力にものをいわせてベンチャーの
芽をつんでいる事態となっている。

自由競争ということばは実はまったくの規制撤廃を指すのではなく
確実なる制御のなかで行なわれなければ実はうまく機能しないことが
いままでの経済の事実・結果から汲み取れるのではないか?

最大の有望株であった企業は、粉飾決算により市場を追われた
やっぱり自由競争など幻想だと、若い人が気がつき始めている
経済を政治が野放図に放置すると、経済は好き勝手に
市場を暴れ周り、結局のところ、自己の「利」と「保身」のみを追求する社会に
なってしまうと思う。

もともと、狙っていたことを成すためには、しっかりとした
市場の監査と不正の摘発を行なっている必要がある。
いまやっていることを成果として表したいならば全体的な数値ではく、
独立し、起業し、成功する道筋が見えるようになっている必要があると思う。

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2つの運動会

まだ、声が鼻声なので外に出歩かずにブログのトラッキングして
時間をつぶしていたら、腹が減ってきた。
コンビニで腹のたしを買おうとしてドアを開けたら、
珍しく千葉でもいい風がふいている。
それとともに、子供たちの歓声が風にのって流れてきた。

「おっ、運動会か…この時期にやるんだ。」

近くの小学校だ。既に佳境。トリのリレーが行われている。
鳴り物は音楽を含めて禁止のようだね。
住民への配慮だろうか。歓声が耳に心地いい。

ーー
運動会というと思い出すのが組合の運動会だ。

既に後輩Tに書記長をまかせ、OBとして隠居であった私に
スタッフとして参加してほしいという。当然のごとく承諾。

なぜ、運動会なんだとう私の問いに、
組合というよりは社員に閉塞感があり、
運動会をおこなうことで連帯感を強化したり、
閉塞感を払拭したいという。なかなかやるじゃないか。後輩。

ところでほとんどの方は運動会への参加というと
朝の開会式から競技スタート⇒お昼のべんとう⇒
午後メインの棒倒し⇒閉会式で散会という人がほとんどだろう。

しかし、本当はスタッフの並々ならぬ準備があり、
大会がおわっても、大会設備の撤去や業者への引き取り、
あるいはスタッフにより慰労会の開催やそれも含めた
会計処理などの残務がある。

このことは、あまり知られていない。

運動会に大人が投資する人的パワー全体を10とすると
準備や残務に7の力がつかわれている。

大会当日は大変おおくのプレイヤーが運動を楽しむ。それは
上で述べた影の支えがあってこそのものなのだ。

ほとんどの人は、閉会式もそこそこに広げていた
レジャーシートを畳み、泥だらけになったわが子と思い出を
共有しながら帰途につく。

大会スタッフは、それを横目でみながら、大会でつかった施設の
解体や掃除を黙々とやるのだ。

このブログを読んでいる人で
小学生で、そのような仕事に呼ばれてしまい
なんでオレだけやらされるんだとくさってしまった君。

くさる必要はない。おめでとう、君は「大人」の仲間入りだ。

運動会の美味しいところは、リレーの選手に選ばれ、かわい子ちゃん
から黄色い声援をうけることだが、もちろんそれは 子供の世界 の
中でのことだ。

運動会を開催し、サポートする大人の仲間入りができた。
そのこと自体を経験できたことを素直によろこぶべきだ。

運動会においては
閉会式で帰る⇒子供とおなじあつかい
閉会式で帰らない⇒大人とおなじあつかい
となる。

組合で運動会をおこなったのは、それが最期だった。
なぜならば、運動会をおこなう運動場そのものが売りにだされ、
なくなってしまったのだ。
いまは、北欧を代表する総合家具専門店が建っている…。

あのときの社員のこどもたちや親の笑いにかこかれた運動会
はりきりすぎて怪我をしてしまう社員がいるほどだった。
初夏の暑い日だった。太陽がまぶしく輝いていた。
そして、運動会を楽しむすべての人間の顔と体が輝いていた。

大会の準備スタッフも2層構造となる。
つまり、企画⇒準備⇒実施⇒撤収⇒総括 と全てにかかわる
コアスタッフと、大会前日からお疲れ会まで参加する
人手として機能するサブスタッフである。

サブスタッフの慰労をかねた大会が完了したあとのお疲れ会
その準備や会の進行、また、後片付けこれもコアスタッフが行う

サブスタッフが去り、コアスタッフのほとんどが帰途につき
残るは私と後輩とお目付けやくのご隠居役だけとなった。
「お疲れさま」感慨深くハグをかわし、最期の解散をした。

ーー
コンビ二で遅い昼飯を物色していると、
まだ興奮冷めやらぬ児童と、
応援につかれぎみの親子が満足げにどやどやはいってきた。
「運動会は、楽しめましたか?『お子様方』。」それだけいうと
私はそそくさと店をでて、かすかに見えるグランドに目を凝らした。

あははは。やっぱりいる。不満そうに竹ぼうきでもたもた履いている君。
いつかは、君も気がつくだろう。その「ほうき」の意味をね。

…静かな優しい風が、また額を駆け抜けていった。

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ダ・ヴィンチ・コード

…うはぁ…ビミョゥだなぁ~

これが、全マスコミ大絶賛一押しの映画か~うーむ。

ネタバレ禁止とか言えそうもないっす。つまり、話すほどのネタが「ない」のである。

朱色会が公開1日にして観るのは、予見や雑音を入れないためなのであるが

もう一つ、映画評を通して、ひとりでも「被害者」を救いたいという
思いがあります。つまり、映画はやっぱりあたりはずれがあるわけで
なるべくならばココロに当たる映画を映画館で観てほしいのですね。

最初に地雷を踏んであげて、いい地雷ならば人に進んでどんどん踏んでもらい
悪い地雷ならば、他の人には地雷を踏んでほしくないのである。いわば梅雨払い
の機能をかっている。

…んで、この映画なんですけれど、
 この映画なんですけれど、(2回目)…「悪い」地雷ですね。
朱色会の評価軸である「この映画でなにを伝えたいの?」が希薄。

単純なナゾときであるならば、民間放送のダビンチ特集の方がなんぼ
おもしろいか知れない。

映画にでてくる役を自分で解釈して熱演していたのはポール・ベタニー扮する
くろずきんちゃんだけ。

あとは、「こんなかんじかな…」って感じで、おそるおそる共演していた。

いや、筆がとまってしまった。いつもならば一気呵成に書いてしまう
レビューが、「ぴたり」ととまっているではないかうお~~~~

慣用句で、『帯に短し、襷に長し』ってのがある

襷にあたるのが、あんまり宗教紛争や中世文化に詳しくない方々
本編のコトバを連ねる説明が、大学教授の講釈とおなじくなり、
だんだんとだんだんとだんだんと眠くなってくる。
あまりの情報量にうんざりしてくるのだ。

帯にあたるのが、ダビンチフリークや原作3部を読んだ人たち
新しい感動をどのようにもらしてくれるのか、観客たちは
スクリーンに向かって大きな口をあんぐりと開けているのであるが
ラストまで放り込まれるか?物足りなさを感じることだろう。

この映画は、まさにそれにあたる。
宗教について一家言ある方は、ついていけるかも。

アメリのオドレイ・トトゥも、なんとか米語を習得してトムに食いついていた
(いや、いかん。このままではヒハンモードになってしまう。なんとか
 いいところを見つけねば…)

トムのことでいえば、役に成りきる度は素晴らしい。
フォレスト・ガンプのときのように、とても役柄の広い人であることは認めよう。

また、映画通があとで噛み締めるられるような小道具や
観光パンフレットのような美しい風景や寺院はまるで6チャンの
朱色会のお気に入りの番組のようなーーそう、アレは

…ハリウッドが製作した『世界遺産2006inParis』
 それが ダビンチコードの正体である。(笑

評価ですか。多分辛口映画ブロガの中でも最低点だろうな。45点。
よかったシーンをいってください。といわれ、『こたえられない。』

ロン・ハワード!1500円返せ!とはいわないがそのかわり次の言葉を贈ろう

味噌汁で顔洗って出直してこい!!!

終幕後、『…ムズカしぃ』とぼそぼそ不平をいいながら観客席を起つ客が
多かったことを伝えておく。

「観るな」とまではいわないが、これ以外にイイノやってますから!
・明日の記憶
・ナイロビの蜂
とかそちらをご覧アレ。
(…とここまで書いてとてもSo-net版ブログに載せられないな
  悩む朱色会でした。…でものせちゃうもんね。)

もし、この映画評をみて敢えてこの映画に挑んだ方で、
朱色会と同じ想いをもった方は、エンドロールで
『世界遺産』のテーマを口ずさんでください。

らら~らららららぁ… らぁらぁ~ ら~ら~…(はてしなくつづく)

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派遣会社社員の苦悩

わたしは自分の会社のコトを聞かれたならば、こう答える

「IT人材派遣会社です。」

事実、社員の半数は、外部にでおり、会社とはなんら関係のない仕事を
やっている。その会社の派遣として機能しとるのだ。

もちろん私としてこの会社を選んだとき、「よし、派遣社員としてがんばるぞ!」

などと一念発起したわけではなく、その会社のリソースと私のやりたい仕事
が一致したため、自分のやりたい仕事を成すためにこの会社に赴いた。

最初っからそれがやれればよかったのであるが、社員の数が倍々で増えているときで

会社の体(てい)を立て直すことが急務だった。それは、はいってみてすぐわかった

・規程がちゃんとない
・会社の幹がしっかりしていない
・教育体制がずだぼろ
・ミドルが育っていない
・会社としてのコアコンピテンシィが確立していない

このなかのもので、いまもあまりイケテないところはあるにしろ

100人と300人の会社では、体制がまったくちがう

その基礎を再構築しなけれがならないことが痛感できたので、

社内システムをやれといわれてときは、「しかたないな」と思って
新人同然の外国人開発者を率い、教育をしながらこつこつ作り、開発者を

育て上げていった。ある程度体を成したところで足抜けし、
最初からやりたかったことは始めるつもりだったのだ。

しかし、それは『途中下車』となり、いまはお役ゴメンで派遣だ。話が違う。いや、

正確を期すと「話がない。」(なぜ、この仕事?といこととこれからについて)

「明日からアソコへいってくれ。」以上。

わたしは勤め人だし、希望はあっても業務指示には従う。

しかし、いまの仕事は全然やりたいことではないし、
いつまでもココにいるつもりはまったくない。
今度、(組織上の)課長が個人面接でくるようなので
じっくり話したいと思う。この現場に私は私自身の

『未来予想図』を作ることができないのだ。

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風邪は、食って寝て治す!

今日は、ほんとぅに徒然草。

2,3日喉が痛い。つばを飲み込めないほどだ。それに、だるい。熱もあるようだ。
風邪をひくと思い出すのがH女史の助言だ。

あのね。xxx(朱色会)くん。人間は薬で風邪を倒すんじゃないの。
アレは麻酔のようなもので、痛んだからだの沈静作用がメイン
風邪などの病原菌を実際に倒しているのは体の免疫機能なんだから、

免疫機能が大活躍できるように、休息と栄養をとることが一番風邪を倒す近道。

いいこというよな。そうなんだよね。大きな病院の3分間治療のあとの薬
効いたためしないもんね。年の功ってやつだね。

そこで、昨日は、9時就寝し、6時起床。喉の痛みはだいぶ取れた。
ようは対策が効いたのだ。ただ、今日も全快というわけではないので、
同じコトをする。鼻水がとまらない。

食って寝て治す。これがイチバンだと思う。風邪に関しては。

ただし、眠りすぎで、ちとアタマがいたい。早く治そう。

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サボタージュシンドローム

労働争議の一種で、仏が発祥といわれる『サボ』るの語源である

サボタージュ

これが、ニートの正体なのではないだろうか?

ニートに詳しいフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によるとニートは
不労者でも落ちこぼれでもなくひきこもりでもなく無職でもなく、

ひたすら『会社』への帰属や関心を拒否するもの

と定義している。

朱色会は、ニートになれそうもない、遊んでなければ働くべきだしそれ以外は
休んでいるか・食事をしているかだけだ。

よくもまぁニートなどできるものだなと感心していまうことしきりではある。

前世紀にはこの言葉はなかったので、おそらくは該当する人は
「ナマケモノ」と称され蔑みをうけていたのではないか?

いまはどちらかというと社会現象の一旦として区別され、
どちらかというと放置されているかとくに親により擁護されているような気がする。
ニート・パラサイト・ひきこもりなどを呼び名があるけれど朱色会からすればゼンブ

「なまけもの」

だ。彼らを子供にもつ親御さんの心痛は計り知れないものがあると思う。

朱色会の捉え方はちょっと、というかかなりちがう。

彼らは、健常者ではなく、「精神的病人」であり『治療』が必要である。
自律的に自然治癒するものならば待つという方法があるがどうもそれでは
解決しないような気がする。うつ病の亜種と考えられ、専門家による【治療】が必要だ。

なぜかというと人間とは『社会的生物』であり、社会と関係性をもっていることが
【正常】な状態であり、そうでない事態jは『異常』な状態と捉え、本人もしくは周りが
対策をうつ必要がある。社会との絆が断たれた人間は、人間の形をした

異形なもの となり、本人のためにならない。

ある程度重度となった患者は親の手だけでは治療は困難であるので
公的な専門家に対応指示を受ける必要があると思う。

『社会的サボタージュ』は、本人にとって望ましい状況ではない。
親はいずれこの世からいなくなる。そのとき、本人はどぅするのであろうか?

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国家の老衰

人間には、本人の考えに即した情報しか眼に映らない -朱色会-

数学の理というものは、非常に理路整然としており、完全な秩序のなかで
その学問体系そのものが制御されており、俗人の予断や思惑が介入することはできない。

しかし、政治家の扱う数字はことなる。
その人間のもつ主張に即したかたちで改ざんされ装飾され
その上で市民に供される。

そんなことを考えてしまう討論会であった。

よくわかったのは、
大学教授を除いてみな「選挙」を頭と心のなかに考慮や深慮したなかでの
発言であったということだ

また、明らかなこととして、
皆、「強引なる」確信をもってやっている。
だから、眼の光を失っても、
為政者は、自分に言いきかせるがごとく、「自分の」理想を説く。

競争は、勝ちと負けがきまる。
みんな勝ちたいでしょ?だから「成果」と「価値」を出しなさいか…

勝者のなかの少数のみが笑みを浮かべる世界

…そのような国になるような気がした。

資本主義のいくつく先はやっぱりこれなんだ。

地球上にある国家で、一番資本主義を真面目にやっている国、米国。

そのあとを追いかけていくだけなのだろうか?

【global】…世界的な規模であるさま。また、全体を覆うさま。包括的。「―な視点」

っていう意味でありつづけるならば、
この言葉を政治家も評論家も物書きたちも連呼して欲しくない。

やけにつかれてると最近感じていたが疲れているんじゃなかったんだな。
強烈にやる気がでなくなってきている。

この国の向かう方向につき、今のままでよいという方は
どうぞ自民党議員へ自分の思いを託してください。
貴方の願いは、叶うでしょう。おそらくは短い間。

いまは、そぅ戦国時代の武田軍の一雑兵になったような気分だ。
相手の陣地には、見たこともない鉄のつつがずらりとならんでいる
なにやらいやな予感がするんだ、このまま号令のまま
敵陣に突っ込むと…。愛馬もそれを察していて落ち着かない。

…しかし、どうすることもできない。
 合戦指揮が「かかれ」と号令したら、つっこむしかないのか?

もうひとつだけいっとく。いや2つか。

あのテレビに出ていた人の中に、「負け組」はいない。
テレビに出ていること自体が、「勝ち組」なのだ。
人間は、自分の上にたつ立場でしか、ものを言わないものだ
そんなこと、テレビをやっている人は、わからぬのだろうか?

つぎ。
したがって、その人には悪いけれど、負け組の人を
液晶画面の前に出す必要がある。FAXじゃない。電話でもない。

いすは2つ。机もない。膝と膝がくっつくほど対面し、
お互いのことを話しあう。泣き顔を見せ付けるのだ。そうして
「あんた、一体だれのために働いているんだ」と指を指して叫ぶ。
今の政治家は、胸をはって同じ大きさで声を張り上げることができるのだろうか?
「貴方のために、働いております!」

いまよりもちょっと前の『老人たち』は、ちゃんと自分の立場のほかに
つぎの世代のことをちょっとは考えていたように思う。今はどぅなんだろね。

…どうせこれで終わりじゃないんだろ?
「庶民」と「政治家」の話す場を第2幕として編成して欲しい。

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政治家は何のためにいるか?

『小泉改革5年を問う(1)』を見た。今日のも見る。
今日は暴論モード全開でいく。

ブログ連もこの話題では熱い気持ちをぶつけている方も多い。

故)角栄氏の著した『日本列島改造論』は
地方に多くの金を落とした。
そのカネにより地方のインフラが整ったことは間違いなく、
目的と方法は当時の風潮を考えると仕方がないのかもしれない。

…いまは、カネがないどころではない。
陳情して、道路もってきて何ぼという政治は終わった。

小泉チルドレンとして、北海道に舞い降りた女性代議士には
眼の輝きがなかった。
厳しいことをいうが泣き言をいっている場合ではないのだ。

中央からカネがこなくなったのであれば
地方で何をするかという考えも持たなければならない

なにが地方の強みかを考えて、都会に集まるかねを奪回する必要がある
それで朱色会もいろいろ考えてみた。

まず、地方は、安全な食材を提供しているから、
強力な【食料供給地方税】をとるというのはどうだ。
食料を人質にとるのは人道的にどうかという意見もあるだろうが
都会人は金さえだせば安全でおいしい食材が手に入ると思っているならばOKだろう

同じことは、電力にもいえる。今世紀においても電気をためることはできない。
【電力供給地方税】だ。(原子力は、8割り増し)
また、物流の脈を押さえ、【地方関所税】を設けるなどは?
これにより、企業の体力が落ちたところで、「知ったことか」
この世に『電池タンカー』は存在しない。
人が通るのに通行料が取れるならば同様に電気や情報が通る幹線も
課税しちゃおうぜ。

…んで、観光資源の供給地として、休憩所・宿泊施設は100%の
【おくつろぎ地方税】をとる。

また、だれでも年をとり、死ぬわけで
余生は、のんびりと野山のあるところで支老園で死にたいという方のため
丸抱えの地方施設をもうけるなどは?

遠方だけでなく近隣の都市であれば企業の労働力を提供しているわけだから
ベットタウン税を企業から徴収など。【おやすみなさい税】

まとめると
・海外で作成されていない食材
・電力
・系脈(人・車・もの)など流通
・人間が生きていてやめられないものについて税金を課す

ぐふふふふふ。なんでも金・かね・カネ・・・・・・・
…上記の考えは朱色会の本意ではないけれど
低コストスパイラルの抑止力として一考すべきことではないか。

これほど、都市偏重のサービスの偏差が高くなると
地方と都市の分裂ということにもなりかねないと思った。

上記の例でいえば、ならば都市は、対抗手段として
海外からの食物の輸入を、関税撤廃をしてくる。そうするとBSE問題は現実の
ものとなるだろう。

・老人と若者
・地方と都市
・非裕福層と裕福層

これらの断絶の世界が、この国の未来なのであろうか?

自由競争はいい。しかし、あくまでもあるルールに則った企業活動でなければならない。

また、結果として負けてしまったものがいつでも戦いにまた
参加できるしくみが必要だ。

政治家は、競争がこの国で『正しく』行われる監査員でなければならない。
それなのに、多くの政治家は、中央大企業や政治的団体と結託をしている。
また、政治家は、敗者復活戦の音頭をとる人でなければなるまい。
いかに負けた人を、また戦い(競争)に参加させるか、
負けっぱなしでは、リングにあがることさえ躊躇うこととなる。

自由競争の放置だけでは、社会が望ましいものとはならないと考える。

勝者をつくるのが政治家の使命でないことは
政治家を志した方ならばわかっていると、信じたいことなのではあるが。
いまいちど、政治家にこの質問をしたい。

『何を成すために、政治家になりましたか?』

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ナイロビの蜂 & 明日の記憶

2本の邦洋『夫婦もの』を一気観た。

朱色会も映画のレビュー・コメントにも慣れが見えるので
ややマンネリを感じている読者もいるに違いない。

いつもだったら、見た順番にコメントして採点して終わりなのであるが
それではつまらない。せっかく一緒にみたのであるから。

そこで、今回は、どのブロガやプロ映画評論家も
成し遂げられない2つの映画の同時レビューを敢行する。

そんなわけで、読者も、2つの映画を観たものに限る。

えっ、前説はいいからとっとと始めろ?
…そうですか。でははじめます。

ーーーーーーーーー「 」---------

夫婦の姿を、事件や出来事を題材として浮きぼらせている点で、
2つの映画は共通している。

テーマは、女とはなにか?
もう少しいうと「妻」とは何かということになる。

テーマは一緒ながら2人の女(妻)の描き方は、
欧米のらしさと日本らしさが良く出ていた。

結論からいうと
ナイロビの蜂『The Constant Gardener』(以下【ナ】)は、夫を守る女
明日の記憶(以下【記】)は、夫を支える女
ということになる。

また、話のネタとしてでてくる題材は、まったくことなる。
かたや、大企業と政府がからんだ国際的な陰謀
かたや、夫の若年性アルツハイマー病となる。

病気は神が我々にあたえた運命であり、
巨大な陰謀も個人として対決するにはあまりにも大きいものである
ため、両者の立ち向かうテーマに実は「勝利」はない。

ヒロイン役の枝実子(樋口可南子)とテッサ(レイチェル・ワイズ)
政府と大製薬会社の陰謀をあばくキャリヤウーマンジャーナリスト

長年連れ添った夫がアルツハイマー病に冒された、その妻。

「つれあい」は【記】の方は日本男児われらが謙さん。
(もう健さんは朱色会は卒業した)
広告代理店部長で、いままで仲間や取引先に恵まれ、順調に仕事をしてきた
仕事一筋50おとこ。(ニポンサラリーマンの代表だね)

また、【ナ】の方は、エリート下級外交官(←っていういいかたは失礼かな)
まぁ、外交官家族にありがちな、
おぼっちゃまおじさま役のレイフ・ファインズ(ジャスティン役)

妻の死を追求するなかにも、何か醒めているその難しい演技は
役の捉え方に対する苦悩がみてとれる。
また、なんとか夫婦の時間を差し込んでいるのではあるが
事件経過を反芻すると夫婦時間が短いなかでの出来事なのだろう。
…でもまぁ夫としての共通項として、映画冒頭の出方は、
「【女房第一】でないキャラ」であることは同じだ。

『災難が起こった伴侶』に対する行動にも違いが見える。

ナゾ(死んだ妻が追いかけていた真実)を追う男。

夫婦の絆(死にゆく夫の人格や自分との思い出)を繋ぎとめようとする女。

夫婦の問題について、避けて通れないのが
夫婦をやっているひとならば一度は関係するであろう
「第3者」のからみ
が、さらに夫婦役への表現のリアリティを上げている

「…え。ワタクシは、一生ひと竿(穴)ですよ。」
…そうですか。………そうですよね。

夫婦と【仕事】の関係は今世紀も重要な課題だ。
今回の2本についていうと

【仕事】にひっかけられていたのは
まず、謙さん、そしてレイチェル そして可南子さん。

謙さんは仕事にひっかけられていたことに心底気づくのではあるが
レイチェルはどぅだったんだろう。
真実の追究>夫 であったというか、もしかしたら
夫for真実の追究 …であったような描き方だった。

そのため、本編のなかで【To protect you】という
ジャスティンに贈られたセリフについても
「うーんそうかな」と思ってしまった朱色会でした。

ま、どちらもストーリーとしては実は希望がかなり少ないものだ
【ナ】については、最初っから妻が死んでしまうところから始まるので、
謎解きに終始してしまう。

かたや【記】のほうも、【救いが少ない病気】を背負った夫が相手である。
余談ではあるが朱色会も不治の病 を患ってしまったときは
同じ行動をとった。だから、謙さんの振る舞いについてはよく分かる。

…にしても謙さんすげぇ貫禄と迫力だ。
ハリウッド帰りはちがうねぇ。
まるで【焼き栗が弾けるがごとく】の感情表現は、観客をあっと
いわせるのに十分だ、またそれが、いつもの【静】の演技を際立たせており、
意図的なものだろうとねらいなしだろうと素晴らしい演技だった。ぶらぼー。

告知後の非常階段のシーン。忘れられない。
「わたしがいます。」

なんとか樋口さんだけ謙さんの迫力に追従していたが
他の役者さんはわるいが圧倒的な演技力に吹き飛んでしまっていたね。
余談だが、今回はエグゼクティブプロデューサも兼任しており、
一俳優というより一表現者としての映画への参加である。

印象にのこるシーンは、可南子さんの頭から血がたらりと落ちるシーン

観客夫婦の中には、ココロが疼いてしまう方もいることだろう
妻に手を上げてしまったものにとってはね。
また、未婚の男の『予防薬』になってほしい名シーンだ。

このシーンの直前の加奈子さんの絶叫は、
【映画を観にきた女性(妻)たちがココロから誰かに叫びたい内容を代弁する声】
なのではないか?そんなことを考えた。どうかな?

謙さんが職場をさるとき、若い者があつまった。
こういう人ほど、職場に残るべき人だ。
(朱色会の周りには、残念ながら謙さんはいない。)

最初っから妻の死からはじまる洋画と

不治の病ながらその最期を描くまでいかない邦画と

生(死)に対する描き方も邦と洋で異なる。
映画のクライマックスもどちらも「静か」だが異なる。
最期の描き方もね。

…【ナ】のオワリかたについてはどぅなんだろね。これから
辛口ブロガの講釈の巡回にあたるんだけど、
妻を守れなかった自責の念ならばちがう結末で表現すべきだ。

宣伝のうたい文句『一生に何度出会えるかわからない映画の奇跡』
…というほどの結末ではないぞ。

そういう意味では ジャスティンより枝実子さんのほうが

強いわけだろ。もはや自分を認識しなくなった夫のあとを
付いていくなんて、なんて女性なのであろうか!!
この強さ、ちょっとまねできない。結婚すればかわるのだろうか?

…あと、気になったいつものいちゃもんつけ。

病院は、屋上の鍵はフリーではない。(本編でもあった不測の事態防止)
告知を受けた謙さんは、屋上に立つことは不可能。

ロケハン不足なのか予算関係なのか
冒頭差し込まれるCGは、ゼンブいらない。取った方が点数があがる。
日本の自然をそのまま表現してほしかった。
どんなにリアルに表現しても、現実の自然には勝てない。
この映画のテーマを考えると、入れるべきことではなかった。
タイトル名については、邦画のほうは内容との齟齬がおおきいかな。

女性記者テッサがいかにしてこのようななりふりかまわない
ジャーナリズムに駆り立てこととなったのかその説明が足りないため
単に周りを省みない猪突猛進なジャーナリストと写ってしまうのが
残念だ。話そのものは話をむずかしくしたほうがウケがよさそうとばかり、
観客の映画リテラシーを喚起するほどの複雑さで、
推理小説なみの複雑さであった。
2時間程度では、これほど複雑にくまなくてもいいのだよ。
くまなくてもいいのだよ(2回目)

みっちぃ がんばってたな。

大滝サン。あなたはほんとぅにすごい役者だ。
唯一、本映画で謙さんを霞ませたアクターだね。

「酒と、くいもんと、女がいればそれでいい。」⇒そのとおり!!!

…さて採点であるが

ナイロビの蜂:67点
明日の記憶:71点

どっちかだけしか見ないというならば明日の記憶のほうがいい。
できるならば夫婦でお越しいただき、鑑賞の後次のような
会話をかわしてください。

「…どうだ、ちょっとメシでもくっていくか?」

「?いやねぇ急にキモチワルィ。どぅしたんですか(笑」

「焦)いや…とくに意味はないけど、まだ明るいじゃないか?」

「…そうね。……いきましょう。おとうさん。」

…まっこと、男に『女』がいてよかった。

そして、次の諺に筆を加えるべきだろう。
「女は弱し、されど母は強し。」
      ↓
「女」も「母」もそして「妻」もゼンブ強し。

わははは。

最期に、明日の記憶を一緒に観た観客の印象について
軽く入る笑いについて、素直に観客と一緒に笑うことができた。

シリアスな映画であっても、エンタに変わりはないのである

観客も、ご年配のご夫婦が多く、いいとっつあんが鼻をならしている
のを周りで聞いて素直に「いいな」と思った。
意外なことに、妻たちは冷静に楽しんでいるようだったね。
『こんなこと当然よ』ってことですか?
男と女の違いを再認識して、映画館を後にしました。

最近はイイ映画に出遭う。
来週はおそらくダビンチ。おあとがよろしいようで…。

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どぅいう国にしていくのか

GWに家族で、日本の経済についてカルく議論をしたがやはり
ゼネレーションギャップはあった。

父親の主張の骨子は

・国民がコツコツと貯めてきた、外貨を、政府によっていつのまにか
 xxxに転換されてしまった。
・子泉路線に対する批判

など、論理破綻の部分も少なくなかったが、団塊の世代代表として聞いた

対して、2つ下の弟の主張骨子は

・父親の主張はトピックが跳んでついていけない。
・親の世代が年金をもらうのは是。それだけの不便と苦労をしてきた

また、さらに下の弟の話は

会社で、時間管理なく、経営者にいいように使われているという不満

などなど

私が印象に覚えていることは、細かい話になってくると
父親は議論にのってこないことだった。
ひたすら、自分の過去のコトを、話していたよ。
そのため、帰ったら聞こうと思っていた
「ナゼ、銀行員の使い込みなどの不祥事が頻発するのか」
を投げかける機会を逸してしまった…。

話への立ち向かい方として

父親は過去を話し、弟たちは今と未来を話しており、違いが際立った。
かくいう「朱色会」も、過去の捉え方など切り上げて
今後どうしていくべきかに関心がある。

過去は、起こってしまったことで、話す題材が過去をどぅとらえるのか
ということになってしまい、あまり話の発展性がない

それより、いま以降をどぅしていくべきか
そちらの分量を増やすべきと考える。

ところで、話が飛んでしまいそうだけど

この問いに答えられる人いますか?

「これから、『日本』って何をやっていくの?」

朱色会もいろいろいえることはあるのだが
政党のHPなんかみてもこの辺がぼや~~んとしている

問題点なんて誰でもいえるのだ。
・大借金国
・高コスト国
・老人国
・製造業衰退国
・家内制一次産業国
・食料自給不可能国
・国内経済格差拡大国
・ぶろぐ国
・にーと国
・ケイタイ国
・PS3国
・ITだけ国
・教育破綻国
・汚職国
・粉飾決算国
・イイ大人がなかなか結婚しない国
・ガンガン離婚国
・こどもがどんどん無残にころされていく国(その逆もあり。)
・若者が電車内にて(生気なく)目が泳いでいる国
・世代間断絶国

諸外国のみなさん。ウソのような単語が並びましたが、ゼンブ事実なり。
これだけ問題を抱えている国だとちょっと次の語彙が脳裏をよぎる。

・おわり国

うは~~。これは何とか避けなければ…・・・・。

…と、いう具合に、いま起こっていることを言葉にすればいい。

しかし、どぅいう国にしていくのか

ということが論じられない。国会でひっそりとやっているのだろうか
それとも別の場所で?
全ての国民を救う手立てが仮定できない。

われわれ中年はいいよ、死ぬまで働いてあげる。
だけど、希望を一回ももったことさえないこどもたちには
希望だけは持たせたいな。

どぅいう国にしていくのか が決まらないと
どぅいう社会にしていくのか が決まらず
どぅいう会社にしていくのかも 決まらず
どぅいう個人にしていくかも ぴちっと決まらん。

昔は、結構みんな同一の目的があったのでは?
いわく、「みんなで(物質的に)豊かになろう。」
いわく、「食うのには困らない社会にしよう。」
いわく、「三種の神器パート1とパート2を買おう。」

希望って『夢』みたいなもので実現できなくても生きるエネルギーになる。
いまの日本がそれがない。

えっ!あるって!!ナニソレ教えてくで…

あ。「株」ですか?

うーん…。そんなに食指のびません。
電車内でブログ草稿中なれど
とにかく、目の前にずらっと並ぶ人の口と目が、「へ」の字の逆になる手段ないものかな~
「必死に耐えて悩んでいるだけ?ナニかを考えているのかナ?」

それを、ずっと前から、探している

そして、見つからない。
理由は、解っている。「朱色会」だけの未来じゃだめなんだ。

…どぅしたものかね? 今日はまっすぐ帰ります。
明日は、気分転換に映画みよう。

『…時が、無常にも過ぎていく…。【いっとき】でもそれを忘れたい。』

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『ごはん』と「ステーキ」

TV番組で『いきなり!黄金伝説。』という番組があり、
マグロだけを食べ続けいていけるかという挑戦コーナがある
第1回目は、伝説達成。(アンタッチャブル)。

そして、第2回目は、若手で台頭(たいとう)著しい
「オリエンタルラジオ」が挑戦している。
このウラにて表現していることにつき、ちょっとだけ前説。

人間の食嗜好というものはおそろしく
食べ続けても大丈夫なものと【ときたま】食べて満足するものに
明確に分けられる。

「おい、メシは食い飽きたから、今日はナシでいい、ヌキにしてくれ」
とはならない。

ずっと高級マグロをたべつづけるラジオ。最初は喜んでいた彼らも
いつしか笑みが消えうせ、過酷な挑戦を続ける自分たちを嘲笑するかの
ごとくコワれていく。

それでも、昨日の番組では、マグロ「一本」の一割を食べていたのだから
若いというのは恐ろしい。いや、お二人の若さに拍手をおくろぅ。

わたしだって三日三晩すきな焼肉(ホントに肉だけ)だったら
イヤになるだろう。

しかし、ごはんは毎日イケル。
この番組のねらいはそこにある。ほんとぅの贅沢とは何か
視聴者に考えてもらいたいというディレクターの願いがこめられていて
バラエティ番組のはずが報道・情報番組なんだよね。好き。好き。


さてと、本論だけど

今日の「日経」はなかなかトップ記事いいんじゃなぃ?

携帯の市場が頭打ちに加え、製造業直販の道 という
わかりやすーーーーい 題名で読者に示されている。

通信業者関係の人は、眉を顰めたんじゃないかナ

おさらいだけど

携帯部品製造会社(海外)⇒セットメーカ(国内6強)⇒通信会社⇒エンドユーザ

っていうかたちでサービスがバトンリレーされていることは
読者のご存知のとおり。

だけど、携帯を使っているヒトって通信会社だけに
月々3000円からおおくて9000円くらい払っていると思う。

キシュヘンも型遅れならばただ同然で変更可能。

通信会社にエンドユーザの金があつまり、メーカは、通信会社に
いいように製品を買い叩かれ、開発費や「人権」費を捻出するのに大涙だ。

また、携帯の自由化(ナンバーの固定化)が今年の9月ごろサービスが
開始になると、もはや血みどろの戦いがおきるのは必定。
ユーザはまたしても「安いが一番」を御旗に、安い通信会社に殺到。
そんなコスト競争がつづくと、もともと
「どこでも、はなしをすることができる」という【魔法】を
編み出し続けてきたメーカは

「稼げん!!!!もはや、ガマンの限界である!!!!!」

とばかり【魔法】を供給することを『廃業』
すべてのメーカが廃業してしまうと、実は通信会社は【魔法】を
つくりだせないのでこれまた『廃業』
結果として25年前にもどるのか、ほかのものが流行るのかしれんが
いまの「体制」は完全に崩壊する。

【魔法】を生み出しているメーカにも「カネをくれ。」
カネをくれ!!」(二回目。)

……
まとめに入る。

『ごはん』にあたるのが通信費
【マグロ】にあたるのか端末製造費

ではある。読者のみなさん。ごはんを食べるためには
「おかず」は必要ですよん。

P.S IE7のいっちばんいいトコロは、消失した小さなアイコンたちが
    再集結することだ。だからブログプロバイダたちよ。やって欲しいことが
    ある。オリジナルリンクアイコン登録機能入れて。お・ね・が・イ

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「新人事制度」はじめました。

ウチの会社(本社)もようやく重い腰を上げて、
まっとうな人事評価制度を入れつつある。
ま、「新人事制度」っていっているが、今となっては「新しい概念」は
なく「真人事制度」だけど。(幻摩大戦みたい。)

現在の制度と実際のビジネスの不整合や運用上の問題点などを洗い出し
評価軸と運用の改善を果たそうとしている。

社長がながながと骨子説明冊子を上梓したりして
なかなか今までない気合の入れ方で、(いったいどうしちゃったのかな)
表現も諭すような感じで管理組織上の【誠意】はかんじるのだ、…が…。

ルール制度については
説明は十分だし、方向性も悪くない、早く運用にのせて
実運用のなかで問題点を洗い出すことだ。

…しかし、もう一つの質問に対する答えが必要だ。それは

『この会社で、一体なにを新たに生み出していくの?
 どんな価値を高め、具体的に客に【何】を提供していくの?』
【存在価値】もしくは【存在目的】を明確にするべきだね。

【お客様にITサービスを提供していく】なんていう
【ぼや~んとした目標】だけだっとちょっと足りない。
これだと、はじめたものを辞めることができないし、
そうすると新しいことをはじめるトリガーが鈍る。

東西南北どの山に登るのか?

いきなりエベレストやるぞったって準備も大変だし、即刻全員遭難する。

今の人員と固有する能力をたな卸しして、ちゃっぴり潜在能力を+して
浅間山にするか、寒風山にするか、はたまた高尾山にするか
どの頂を選択するか決めることだ。

また、「初回は何合目まで上るのか」
そのとき、皆にはどんな変化がおき、何を得るのか。
そんなことも決めないとね。

つまり、自分の会社の、社会での存在価値をもっとかちっと決める
べきだし、その価値に載らない人はどんどん他の会社に移ってもらった
ほうがいいのだ。やる気のないメンバーを食わせる余裕など
いまの日本企業にはま~~~ったくないのである。
もちろん、朱色会の自分がもつ絵をことなる絵を提示されたらならば
準備をしてからおさらばする。(もぅひとつ決めた)

もうひとつは、目標達成の『物語』だ。こちらも
いつ、だれが、なにを、達成する
これの組み合わせとリレーの『物語』がないと、成功への階段(道筋)が
見えず、到達度の把握も不可能だね。
昨今の経営者は、金勘定に忙殺され、自国(おっとまちがい自社)の
物語作成に逃げる傾向がある。ま、わかるだんけどそれは人任せ
にしちゃダメダメ。(プレーヤは、課や自分の物語作成までが責任範囲なんや)
それに、自分の物語を書くためには、上位の物語を参考にしないとかけない
から、最初に披露することがとても重要だ。

…えっ、ソンナニわかっているんだったら、経営に参画したらって?
いやぁしたぃんだけど、まぁヘルプデスクで派遣やってるんで、
この会社じゃあ活躍の場はないねぇ。

鼻や目の利くひとって不遇されている
ことばに忌憚がないし、はっきりものをいいすぎるんだよね。

また、これらのことは、隠し事なく。同じ山を登ることにした
メンバー全員がしっかり把握共有していることが必要だ
それがないと、やれ、いきなりのスコールで、半分が
自分の判断で下山してしまい、もともと決めていた全員のゴール確認ができない。

ルールやしくみ、組織のほか、抜けていることを2点ほど述べた。もうつかれた。寝る。
おやすみ。

P.S そういえば昨日付けの『朝日』の、雑誌の廃刊記事は、新聞のソースとしては
    落第点レベルのネタの古さであることをいっておこう。ブログの世界では
    終わっている話だな。記者と編集者に猛省を望む。
    (あんまりブログのなかからネタを拾うと、記者の沽券にかかわるよ。)
    それと、記事の結論は、TVでの番宣と同じじゃないか?
    内輪の宣伝をしたいのならばちゃんとその『枠』でやることだな。恥をしれ。

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「血だらけの週報」が私に与えてくれたもの

「上司」を特定できる読者の方に質問をします。
定期報告書あるいはそれに類する文書書いていますか?

会社に入ると、ルーティーンな業務報告として
上長に報告するためのものを書くよう指示があるはずです。

えっ?書いていないし、指示を受けたこともない?

いますぐに、その上長を「変えなさい」
かえる方法は、貴方の会社の規程に書いているので、不明であれば
人事課にご相談ください。

次に書いている人に伺います。
書いた後どうなります?

えっ?いったっきりもどってこないしなしのつぶて?
コメントがかえってきたことが一度もない?

いますぐに、その上長を「変えなさい」
かえる方法は、…(以下同文。笑)


『出藍の誉れ』を行うためには、【藍】がいることが不可欠である
                      -朱色会-
http://www.geocities.jp/ryoubow/zatugaku/syuturan.htm

前節までの何かの繰り返しになるだろうけど
私が会社に入った時節は、
『上司たるもの部下を教育するのは
 仕事の一部である。なぜならば、部下が成長し、自分の席を脅かす
 存在になってくれないと、自分が「ウエ」に行けない。』
という不文律があり、とっても鍛えられた。
これこそが、会社における『正のスパイラル』だと心底思う。

かなり昔(前の会社)週報を書くと、部長までまわり、かえってくる。
そうすると、(いや今度スキャンしてブログに貼ろうかな。)
【血だらけ】となって戻ってくる。(血液じゃないよ、赤ペンです)
そのひとつひとつを指でなぞるとそのときにお世話になった人の顔が
思い出され、懐かしさにしばし放心するのだ。

ほとんどスパルタだったが、そのときの修行というか
鍛錬という名の経験は、10数年を経たいまでも、大切な私の「財産」だ。
できることならば私も、誰かに「財産」を与えたい。

…いまは、逆の動きになっているようだね。
 いろいろ若い人の話やブログを見るとね。
 詳細は省くけど、会社における『負のスパイラル』だと思う。


さて、前置きが長くなったけれど 今日のお題のテーマは
『プレジデント』ねたです。

この辺で読むかやめるか判断ねがいます。


今回(2006.5.29号)のテーマは「書き方」のコツ
だって。うーむこれ『プレジデント』だよな。
日経ビジネスじゃないよな。うーむ。

もともとプレの読者って会社の経営に携わる方むきだったような気がする
創刊の思いもそのヘンだったような。あまり覚えていないけど
それなのに、ああ、それなのに、ああ、それなのに(3回目)
書き物のテクだとぉ~~~~~

ま、いまごろプレジデント社には、抗議のメール・電話が殺到し
おおわらわだろうけどね…こんな感じで。
『どんな記事特集やるねんな。おたく。ナめとんか経営者を!』

えっ!!!!一本も入っていない…………そ……そんな…バカな!!


内容は、まっごくごくフツーの基本中の基本の作法が書かれており、
これをありがたがる読者は少ないとおもうのだが、編集方針はそうでないと
判断したのか、この件について書いてくれというニーズや危機感があったのか
定かではないけれど。ここまでニポンのカイシャは落ちたのかと
がっくりくる。つまり、
『プレジデントがこういう特集を組まなければならないほど、
 カイシャ人の物書き能力(表現力・伝達力・説得力)が落ち込んでいる』
っていう事実の方に落胆した。ほんとかよ。


最後に思い出。

ある先輩がいった言葉(お元気ですかUさん)で本節を結ぶ。

「なぁ(朱色会)くん。世の中や会社が成したことで、自分がかかわった力って
 実は100分の1とか1000分の1とかだよね。つまりそのほかに
 【お願い】や「依頼」をしたことで成されている。だから、全ての会社の文書は
 実は自分のしたことを記録するのではなく、他人をどう動かすのかのツールとして
 機能させたほうがいい。そのために必要なテクを磨いたり、発揮するのは
 会社人として当然のことであり、自分もまだうまくできてはいないけれど
 貴方もその力が自由に行使できるようにしておくことは
 とても重要だと思わないか?」

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態度を変える男

私の職場(派遣先)の方はほんとぅにみな真面目で
仕事に誠実な方ばかりだ。
日本の製造業におこっている「業」を認識し、かつあえて担いでいる
姿に対しては、老若男女尊敬できる人が多い。

…しかし、そうでない人もいる。

とくに、朱色会がアレっとおもった人は

状況によって大きく応対の態度を変える人だ。

企業のロジスティック部門に在籍している「A」について述べさせてもらう

ところで朱色会は年齢的には「おじさん」にどっぷりとつかってはいるが
写真のとおりの外見で、実年齢より若く見られる(自慢はいっちゃったかな。)
おそらく、私をしらない人は、誰も私の歳を当てることができないだろう
そこでこまるのが、朱色会の「正体」と「過去」を知らないおじさん予備軍から、
「年下扱い」を受けることがある。…ということを予めいっておこう。

話を、前に戻す。
彼は物流だから、配送物の回収と納入が主な業務だ。
私はヘルプデスクなので、事業管理部に机がある。
そうすると大体荷物の受け口は総務なので、物流のおにぃさんと面識があることなる
そのときは当然彼も会社対会社の正常な対応をするのである。

「こんにちは。荷物をもってきたのでハンコをお願いします。」
「ご苦労様」

…とこんな感じでなんの変哲もないし問題もない。

しかし、ある日、他の部門のヘルプデスクも掛け持ちしているため、
全員が会議で留守番しているとき、
彼がそこに荷物をもってきた。
彼は、居室に私一人しかいないことを確認するやいなや

「おぃ!荷物!!」
「?いま、全員会議中で留守番なんですよ。」
わたしはてっきり
『代理でけっこうなのでここにサインをお願いします』
とでも返してくれるのかの想像したが
「ここ、ここにハンコ!」
押すやいなや職場の方が帰ってきたら、そそくさとでていった。
いつもの調子とぜんぜんちがう…

ははぁ、この人オレのこと年下とおもっているのか
『残念ながら、十ちかくコチラが上ですよ。フフフ』それとも
関連会社だからぞんざいな態度okとおもっているのかな
とおもった。

…にしてもいつもとはぜんぜん違う対応に驚いた。

凄めばなにかいいことでもあるのかしら?
…にしてもすごい。すごいって
朱色会には到底できないのである。このような状況による態度の豹変は。

上長経由で『矯正』させようかなとふとおもったが
職場間のイザコザをわざわざ起こすこともなかろうと思って
そこはなにもいわなかったけれど、朱色会には不快感と疑問が残った。

『なぜ、態度を変えるのだろう?それがわからん』

彼の行動の原因が知りたくなった。
それでいつもならば『本人』に直接確認するのが手っ取り早いのだが
いろいろ仮説を立ててみたがしっくりこないのだ。

まず、態度を変えることで「A」がえることがよくわからん
デメリットだけをいろいろ上げることができる。
メリットないと思う。

つぎに、とにかく朱色会が嫌いで、凄みたかったという
欲求衝動説。
うーん。嫌われる理由が思い当たらないなぁ。凄む理由も。
だれか思い当たるものがあれば教えてください。

もぅ少し考えてさせてください。今日は疲れたのでもう休みます。おやすみ。

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アメリカンドリームとは似て非なるジャパンサバイバル

荒川静香のプロ転向の記事を読みたくて、キオスクで朝日新聞を買った。
『朝日』は、朱色会にとっていつもあまり褒めるところはないんだけど

今日の社説は、とてつもなくヨかった。題もイイ。

【「好況」支える時給760円】

買っておいて平積みにしている人は
読み直してほしい。一面
今日は、その記事について思うことを書く。(本節ゴメンちょっと長文。)

分裂にっぽん の題がついているこの記事を要約すると

1.好景気の一旦として海外からの労働者の底支えがある
2.彼らの自給は安いが、それでも本国の給料の数倍となる
3.彼らのコストパフォーマンスは非常に高く、それは
  もともとその職を担ってきた日本人【労働者】への影響も大きい

最後の3つ目は朝日らしいといえば朝日らしいけれど
まぁ事実なんだろうし、この構成と表現には異論がない。

つまるところ、政府の好景気という捉え方は、
企業の経理的な状態でしか見ていないのかなと思う。

いわく、公示される事業状況・成績
いわく、株主に提示される財務諸表

政府が景気が上向いた上向いたと浮ついているのに、
いつも『そんなはずはない。』と思ってこの認識の差異の原因を
探していたのだが、その理由を一つを、この社説がおしえてくれた
素直に感謝しよう。

「ありがとう。」

しかし、相変わらず『判るやつだけ判れ』的な【高尚な】記事だなー
まぁいろいろいってみて補説したい。

この企業のやり方は、コストダウンの一政策として
企業人の先輩諸兄が血と汗と涙(と命)をかけて築き上げてきた
強大な円の力に頼っている経営陣の姿がみてとれる。

1ヶ月一万円生活なんてTV番組があってよくやるなぁとネタに
されやすいが、実は年間日本円換算で3万円くらいで家族を養っている
世界の諸外国のことを考えると、まだまだハードルが低いのかもしれない
1ヶ月2500円かつ家族2+2 で、海外でやってみるといいかもね。
現地レートで換算してさ。

何をいいたいかというと、我々は円の付加価値を高めてきた。それは
生活のために必要な、住居・土地・食材・流通コストなどなんでも
値札をあげていくことで、強力なインフレ状態をまず推進し、
それにより様々なデフレーション誘発をしていくことで、円を対外的に
高めてきたのは、読者のご存知のとおり。
・内需の拡大のためと貿易をしていかなれれば数日で干上がるお国柄のため
 それは、いまも行われている。

その結果として
海外旅行で札びらをばら撒けるようになった反面

サラリーマンは都会での一戸建てはあきらめてレギュラーマンションに住んでね。
となった。

ここまではしょうがないかな。
しかし、今行われている海外の相対的に円よりも安い基軸通貨をもつ
外国人を企業がやとっていく方法は、いまは安直に企業の『成績』を
あげることができそうだし、ずいぶん『安い』考え方とは思うが、
…いずれ破綻するんだよね。

あらかじめいっておきたいが、朱色会は『国粋主義者』ではないけれど
日本人を愛しているし、日本人とガイコク人をどっちとるのといわれると
日本人をとる …と前置きした上で

円を高めてきた日本人 

コスト競争を言い訳にして円を食いつぶしている 経営者

という構図となっていて甚だ問題である。

円を高めてきたのが、経営者だけでやってきたのならばわかるけれど
そぅじゃないだろ。

真面目で寡黙な団塊世代前後の方々の苦労があってこそ
円が世界的に認められ、円が結果的に価値がたかまったんだ。

上記のような振る舞いを行っている経営者は、
その価値が高まったニホンの円の『脛(すね)』を骨が見えるまで
かじりまくる『餓鬼』だね。

ニホンは人口が減少していき、いずれ、肉体労働人口かぎりなく0になるだろう

そうしたらアメリカみたく、移民に頼らざるをえなくなる
もちろん税金も欲しいので国民が行使する権利も与えざるをえなくなるだろう

そうなると、今米の国境でおきていることと同じ、いや、それよりも大変な事態が
おきそうだ。

まず、『同じことヤってんのにナンデ給料や地位低いの?』

となる。そこで選挙権を行使して
同じレベルの仕事をやっている人は、国籍とわず同じ給料はらいなさい法律
が立法される

これには、基本的人権の平等を掲げる憲法があるため、
立法を妨げることはほぼ不可能。

もし初回がダメになったとき、次は、たぶん政治上メジャーとなった【移民たち】
は正攻法で議員を立ててくるから、2回目はするりと立法化され、ちゃんちゃん。

そのとき、なにがおきるか、実はそのときは
地位逆転したそのガイコク人の母国にて『移民』がはじまる。

………(長い沈黙。)

新聞の記事は、プレイヤーとして肉体労働の労働者にスポットをあてているけれど
べつに溶接工だけじゃない。

貴方の机の隣にいる人が日本人でないならば、ホワイトカラーも同じことが
急速に行われていて、貴方の雇い主は、「そのことについて【是】」
と考えていることを、あなた自身は認めるべきだろうね。

ところで、アメリカンドリームは確かに履行されているが
けっしてジャパニーズドリームは現実にはおきないだろう。
この国は、封建社会を実はいまもやめてはいないし、その気もまったくないからだ。

最終的にはこのような構図かな

A.経営者「ほぼ日本人」
B.上級プレーヤ(マネージャとはよばない)「国籍とわず」
C.下級プレーヤ「円より安い基軸通貨をもつ労働ビザ労働者」
D.それ以外(それ以外ってナニって朱色会に答えさせないでください。)

どうかな。

…いや、朝日たまにはイイ記事を書くではないか。
 見直した。社説だけで130円分ある。
 『やるな朝日新聞!』
 (記事の末に、著者の実名を載せるのゼンブでやってくれ!いいぞ)

さて、ココまで朱色会の世迷言につきあってくれた貴方に次の質問をします。

2033年、貴方は、A~Dのどれに該当していると予測しますか?

ご静聴ありがとうございました。明日も『朝日』買ってみるか…。

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トラブルといふことば

我々は慎み深い国民といっていいだろう。

それは、事件の容疑者の嫌疑につき
なにやらわからぬ曖昧な言葉で表現し、容疑者を「人権上」守る。

そのなかでも、朱色会がどぅしても表現者として許せない言葉がある

「トラブル」ということばである。

この言葉の使用は、マスコミ、警察などの公権力の代行機関のスポークスマンでは【禁止】とする

たとえば、ある中学生がつきあっていた女性を暴行で殺してしまった
容疑者についても「トラブル」なんてことばをつかう。
ふざけるのもいいかげんにしろ。なにが「もめごと」だ。

実名が使えないので容疑者をAとする。
朱色会ならばこのようなスクリプトとなる。

『容疑者Aは、彼女に【ふられたのを逆恨み】して暴行殺人を行いました』

陰惨な事件がつづく。
我々は、人権を尊重してきた。特に社会で弱いものの人権は守る必要はある
しかし、犯罪を犯してしまったものは
それなりの社会の制裁をするべきだ。
とくに、彼らを矯正するために必要なものとして
事実を公にし、周知させるべきと考える。

そんなことをすれば社会から拒絶され復帰できないという
意見があるがそんなあまっちょろいことをいっているから
犯罪を再犯するのだ。

労役を経て自由の身になって
かれらにつらくあたる者はいるだろう。あたりまえだ
取り返しのつかないそれだけのコトをしたのだ。
その重荷は、死ぬまでしょっていってほしい。
死ぬまで!!(2回目) 
ム所をでたからって生まれ変わったわけではない。
洗脳したわけでもない。

犯罪は生物学的事象ではなく、社会的なものだ。
したがって社会として事象に立ち向かう必要がある。
そのためには、周りにいる人間の最低限の情報は、
こちらの応対や対策をする上でとても必要だ。

再犯を防止するため、
・犯罪情報のWeb上での公開(未成年含む)
・犯罪者私怨防止と、犯罪被害者対策の強化
を望む
また、対案として
・犯罪者差別防止法
も必要だ。

くりかえす。「トラブル」ということば、金輪際一切つかうな。
…今日はこのヘンで。

P.S 今日のバンキシャのスクープはヨかった。
    「ドイ」さん。もっとかっこいい生き方したらどぅ?
    GWがぁ…GWがァ…おわった……ぐすん。

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穏やかなときのなかで

故郷にもどり、ゆったりとした静かで安寧なときのなかに身をどっぷり
とつけている。

そぅすると、ぎすぎすとした『世間』や齷齪とした仕事場の自分のことなど
まるで夢の中のような出来事に感じてくる。

実際にはあと数10時間たつと現実に引き戻され、いまのような
状況とはならず、また、「あの日々」が繰り返される。

どちらも善し悪しはあるのだろう。例えば故郷の街中に車を走らせると
昼間の繁華街にてシャッター+らくがきが目立つ。

しかし、いま、この部屋にいてブログを書いている私の体をなでていく風の
心地よさはどうだろう。とてもキモチイイ。

このような環境下は特殊なので、この環境に身をおいている自分の
考えや感じ方も変わっているにちがいない。
したがってその感情のなかにいる自分として感じたままのことを残しておこう。

まずは、時の流れ方がまったくちがう。
そして、絶対に言い切れることとして、この時間の流れ方が、本来人間に
与えられた適切なるときの流れ方だろうと思う。

いろんな感情をじっくりと考え、反芻することが可能だ。
たっぷりと水を含んだ布巾のようなココロに還る。
都会では、かつかつに乾いたぼろ雑巾のような心になってしまう。

耳に入る音楽のやさしさの感じ方も違う。
現在は、いきもの地球紀行のサントラが、街の風と鳥の声とともにながれている。

喧騒はまったくない。

ふと、気が付く。「キョウソウをしているのは【トカイ人】だけだと」

『レース』は確かにおもしろい。
若いころ、むさぼるようにそれを楽しんだ
しかし、おもしろくおもうための【材料】は必要だし、以前はそれが確かにあった。
それは、いま、あるのだろうか?

楽しいこと、たまには楽なこと、そして、楽しみがあるということ。

競争はひとまず、ひとまずお休みだ。お互いに【供そう】したいな。

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帰省して…「できたらほめる」に思うこと

私の実家は仙台で、いまは実家でゆっくりしている。

本日は、こどもの日ということで、それに因んだものを述べます。

弟夫婦が、姪をつれて帰ってきており
そうとうににぎやかで楽しいが、彼らの育児で気になることをみつけたので
それについてひとこと(弟にはそれとなく諭している)

姪が

・食卓でおとなしく食事をする。
・残さずに全部たいらげる。

などができたとき、その場にいた全員でほめることを、
姪の親が、『強要』するのである。

『う~ん。ヘンだ。と、いうかウザい。』

私から言わせれば、上記のことは
「褒めるに値しない」ことだ。
やってとうぜん。当然のことができないときは、叱ったりして正す。

それに褒めるという行為は、他人がそれぞれ決めることで、
夫婦が他の大人にそれを強要するということは
教育方針の他人への『押し付け』であり、本当に止めてもらいたいこと
のひとつだ。

わたしが古い感覚の持ち主で、いまの育児のトレンドができたらほめる
というのが定石であるならばそれは、
自分の子供だけにそして自分たちだけで励行してほしい。

しかし、わたしはやらない。
親が、子供を褒めるということは、【特別なことにしたい】思いがある。

あたりまえのことは、『あたりまえ』にしておく必要がある。
そうしないと、本当に素晴らしきことをこどもが成したときに
親がわかりやすくそのことをこどもにつたえる表現をすることが
たいへんに難しくなる。

つまり、えらいこと、ふつうなこと、やれてとうぜんなことは
きっちり親としての反応をわけた方がいいということだ
そのほうがこどもとしてありがたいのではないか

この区別を子供について体現をわけておく必要はあるとおもう。

親から褒められることは、うれしいものだ。
そして、うれしいことにしておくためにはそれなりの対策は必要だ。

また、このような子供に対する【太陽政策】の弊害として
【xxxちゃん、偉い!。凄い。】
の定常的な「あびせ」は
こどもに
『おやからみたイイ子』の強制となりかねず、子供のストレスになるのではないか?

自分が子供のとき、どぅ正しく育てられていたのかを、思い出そう。
読者に子供がいる方について、問いたいと思う。

「褒め殺し、していませんか?」

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組織のスクラム化-第一節-

ある国のあるときの幹事長がいったセリフで、印象深いもの

「ほ□□くんは、我おと~とでーーーす!」

そのときの選挙演説において経済xxx大臣は

「ITの旗手として□り□くんとスクラムを組んでやっていきます。
 □□えくんをよろしくお願いします!!」

いくらお祭りモードだったとはいえ、昨今の言動は
電子情報に残り、劣化なくいくらでもリフレインできる。
うーむ。。。
まっこと、ことばとは、自分に還ってくるものなんだな~
って心底思うようになった。

このフレーズが液晶画面やプラズマ画面に
繰り返し映し出されるたびに、そこで吼えてしまった人は
「あ”~~」と頭をかきむしっているのだろう。
ココロのなかでね。

彼らをxxxxとして、我々も、ブログにかいたことについては
すくなくても、いやできれば胸をはっていきたいものだ…。

さて、本節から何回かに分けて
組織のダイナリズム(集団心理行動)について
とくに スクラム化 について述べていきます。

予め断っておくけれど

スクラムというとたとえば
ラグビーのスクラムの「勇ましさ」とか
スクラムを組んで云々という【連帯感】とか
いいイメージをお持ちの方が多いとはおもうのだが 本編では

大体が『あまりいいものでないもの』は登場しない。
『あまりいいものでないもの』をナンデ書くのかというと

それを認識できないときときとできているときで
有効な手立てが打てるときと打てない場合があるので
予め知っていて損はないだろうということで伝えておく。

あまり体系化できていないが

わかりやすいものから、存在を隠しているものまで
ゼンブで7パターンあるから、自分の経験であたるものの選別は
お任せします。好きにとってください。

本節は3つの解りやすい集団心理行動のなかから紹介しよう!

…と、思ったけれど、今日はGWなので、今日はこのヘンで。

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「なまり亭」と『カタカナ』解説者

タレント(才能)人である藤井隆がやっているTV番組の中で
好きなコーナーがある

「なまり亭」というコーナーだ
芸能人で、なまりが強い出身の方をゲストで招き、
『方言』を中心とした様々なゲームを行う。

例えば「方言禁止記者会見」。
おもいっきり方言をつかう地元の記者たちの前で、
自分だけ『標準語』を強要される。

ついには、ゲストは方言を使えないことにいらいらし始め、
だんだんとフラストレーションが溜まり、あるタレントは
切れてしまった。その切れ方が尋常じゃない。

ところで、なぜこのコーナーが好きかというと
人間の真の姿がちらりとでるからだ。
方言で話しているときのゲストの『生き生きなこと』ったらない
いつもムリに『東京弁』を駆使し、ツンとしてカッコつけている
芸能人が、我々と同じ人間に降りてくる瞬間がたまらないのだ

われわれと中身はなんも変わらん。
芸能人とて、故郷を愛し、故郷の人々を愛し、
いつもココロの中で求めている。それがわかる。

最近ちょっとだけマンネリ気味な印象をうけるが
このコーナーの主旨を大切にしてゲームの内容を変えてみるなり
趣向をこらして生き延びて欲しい。

バライティーながらとても人間の内面に食い込んだ
良品だ。「…食い込み。」

さて、話題はがらりと変わって昨今のコメンテータや解説者などの
非ニポン語人化について

プレジデントや日経xxxや組織論本や
アントレ本とか、コーチング本や、あと、専門的な部門のみを展開している
ブロガのコメントや論説で気になることがある。

『あまりにもカタカナが多い。』

彼らに、「なまり亭」ならぬ「カタカナ亭」を仕掛けるとおもしろいかな
とふと思った。

カタカナ化するのも、ムリもない話なのだが、あまりにも
ひどすぎる。おそらく、彼らの書いたものをそのまま
音読み朗読しても、欧米人には内容がつたわるのではないかと思えるほどで、
彼らの『表現物』はカタカナが氾濫している

誌面をみると、日本語表記のはずなのに、
紙面がカタカナでぴっちりと覆われ、目がチカチカする。

まー彼らの書く文章につらくあたるのも筋違いとはいえ、
英語圏の概念に毒されすぎている気がして心配なのだ
「日本語まだ、話せますか」と突っ込みなくなる。

SCM(サプライチェーンマネジメント)ということばがある
流通と製造業と金融業にかかわる仕事をしている人は、
このことばについて説明ができることが重要だ。

そこで、もし、そういう人が読者ならば、
以下の設問に挑戦していただきたい。

Q:SCMについて、カタカナ・英単語を使わずに説明しなさい。

…どぅ?大丈夫。あ・・・・だめ?…だめですか

うーん。こまった。
経済や産業の概念を、欧米に乗っ取られているか、
日本人が盲従しているのではないかといったら言いすぎだろうか?
解説者の体たらくを散見するとそんなことをふと考える

本人は、外来語を多用して、『いい気(キモチイイ)』になっているのだが
実のところ、本質を理解し、読者に確実に伝えることが重要だ。
そのためには、自分が本当にココロのなかで理解しているかを確認するために、
自国のことばで、自分のことばで説明がいつでもできることが
とても肝要だ。

もぅちょっとだけ、美しい日本語を取り戻そう。

…バスがついた。遅まきながら、朱色会もGWに突入します!

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神様の含むストローの先

人間の才能というものは、いったい『どこから降って』くるのであろうか

野球がうまいやつ
歌がうまいやつ
サッカーがうまいやつ
運転がうまいやつ
料理がうまいやつ
絵を描くのがうまいやつ
そして
…「何か」を発言・表現するのがうまいやつ

人それぞれ才能がある。
その才能にふれたとき、われわれが共有する概念はたったひとつだ
『人間は何と素晴らしいのだろう』

うまく才能を発揮して、大金を得るものもいれば
タイミングが悪いのか、自分の才能をうまく発揮できないのか
ハッピーに人生を送れないものもいる

朱色会の本件に関する基本的な考えは
この世に降り立ったすべての人間は、何かを受ける【受け皿】をもって
この地に舞い降りたということだ

ブログをやっていると、
まるでなにかの才能の神様が
自分に降臨したがごとく筆が進むことがある。
それは、あとになると、全てはジコマンでしかないのだが、
「どうだっ!すごい文を書いたぞ!!」
チョット一般的な見識とはことなる着眼点で
ユニークな発言ができたと思って他のブロガさんの記事をみると
時を同じくして、まったく同じ考え方に出遭うことがある。

「…これはどうしたことだ!オレだけの考えではないのか?」

【オリジナルの考え】を上梓したと思ってブログ界をトラッキングすると
多くの同じ考えのひとに『出遭う』ことになる。

そういう現象に何度かあうと
そうかと感づくことがある。

神様は、自分だけにこの考えを授けてまたは託しているとおもうのは
自分の慢心でしかなく、たくさんの人に同じ考えを与えているんだ。

それはあたかも、神々が自分の『才』を天上より地上の我々にストローの先で
息を吹きかけるがごとくにだ。

そして、息を吹きかけられたものは、情けないことだが
自分だけにそれが供せられたと思ってしまう。

…しかし、殆どの場合それはカンチガイだね。

神々がもつさまざまな才は分けられ、地上の我々に分け与えられる。

しかしそれは、個人に唯一独占されるものではなく、
託されるものは、何人もいるのだ
…そう思う。

朱色会は先願権を完全否定するつもりはないが、
この世に『特許』というものがあり、その初案件や所有権がらみで
血なまぐさい紛争があるとき、わたしはよくそのことを考える。

「神はあなただけに、【それを使うこと】をあたえたのか?」
そもそも、特別に許すなんて概念は、人間が都合で作った概念だろう

【オリジナル】ということばは、語源以外の意味ないと感じる。
つまり、『はじめてを供託を受けたものたち』という意味だ。

われわれは全能なるものの欠片の断片のひとつ。

…そのことを、忘れてはならない。
いつも、そしてずっと、「上から」見つめられている。

『あいつは、カンチガイしないだろうか?
 自分のチカラの意味を自覚できるだろうか?』

【はらはら親】のように見られているようなきがする。

【はらはら親】に、「心配」をかけるなよ。
すべては、宇宙の営みからみれば
『光のまたたき』のような「いっときの」【レンタル】なんだから。

…今日の文章は、私をブログの世界に導いてくれた
 ある女性ブロガに捧げる。 おやすみ。

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「ホンダ」の決意

他国の悪口をいうのはよくないことであるが、
こと中国という国となると朱色会も辛口にならざるを得ない。

特にヒドイのが、「知的所有権」に関する権利を政府として
守る気がまったくないことだ。

そのひとつとして、日本車の意匠侵害がある

この問題が現実となる事件が、雑誌、「CAR and DRIVER」(2006年5月26日号)のコラムに
のっていたので、詳しくは買って読んで欲しいのだが、
それと同じ内容のWebブログ記事を紹介しよう。
ホンダ、中国の知識産権局を提訴・SUVの意匠権無効で

本件についてのまずコメントしたいことは

「HONDA頑張れ!!」っていうことだ

もちろん、ホンダが下した英断は正当なものであり、
中国政府は襟を正してほしい。
しかし、この提訴は記事にもあるとおり
とても大きなリスクがある。
一つは、ホンダ車について、人民の不買運動が激化することだ。

また、本件について残念なのは、
日本の商工会議所や経団連や政府が、日本全体の問題としての
連携のある動きをしていないことである。

また、こと中国市場の特徴として、
巨大な消費国としてだけでなく、海外製造拠点として安価で優良な労働力の
提供機能を、中国に頼っているということがある。

不買運動だけでなく、不労働運動をされてしまうと
膨大な投資をした中国市場からの投資回収がままならなくなってしまうのだ

翻って中国市場のとくに消費者は、
コピー商品を買うということに悪意や罪の意識がないという
教育不足な面があることも要因としてあげておこう

かつて実は日本も、欧米のクルマをまねていた時代があったが
これほどコピーすることはしなかった。(これは、欧米の品質レベルに
当時は到達できなかったということはあるのだが)

何れにせよ、このホンダの英断と企業理念はエールを送りたい。

また、中国をはじめとするコピー商品を頻発する外国企業は
知的所有財産権利についての見識を深め、国際市場から駆逐される前に
コンプライアンスや企業統治能力を高めていただきたいと切に願う。

それから、「もううんざり」という声がきこえそうな
国内へのコピー商品の流入を水際にて食い止めている
税関の方のご苦労にもこの際お礼をいっておこう。

「ご苦労様。今後ともよろしくお願いいたします。」

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