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ネット世界での立ち居振る舞い

作法ということばがある。

作法という概念は広いが、朱色会は短くいってしまうと

「自分という【存在】をわかってくれるための表現」となる。

ブログやネットの世界にもいろいろな作法がある。

たとえば、この様に文章を書いて
朱色会は命が潰えるまでの時間のうちの、今この時間を失っているのだが

おそらくは何人かこの文章を読んでしまうことだろう。
そうして、その読者は、あろうことか
私なぞが書いた文章を読むために、自分の一生の一部を
多少なりとも消費してしまうのだ。

…なんということだ。なんということなのだ(2回目)
時はカネなりとだれぞがいったが…あまぃな。

「時は、命なり。」--朱色会--

私がなぜこのような想いに駆られるかというと
朱色会も読者として、ネットの世界を旅しているとき
それはとても矢のように過ぎ、そして、
もちろん宝石のような作法の整った純粋無垢でかつ
卓越した筆技やすばらしい着眼に出会うことは出会うのだけれど

その合間が問題なのだ

合間に、そうでないものに会う。

高度に語彙を尽くせば、内容として高度となることは殆どの
場合においてない。専門用語を羅列して実身のないものや、
自分のためのことだけを延々といっているもの。

そういう人に会うとこの言葉を、直接発したくなることがある

「私の【命の一部】を返してください。」

…わたしもなるたけそのことばが返ってこないように
 努めているのだけれどなかなかできないでいる。

わたしのお気に入りに入れているひとは
わたしより上位な表現を披露してくれる。
つまりところ私よりも作法ができている。だから読んでいて
キモチがいい。

表現手段や述べるべきものの方向性が朱色会とは異なるが
見習いたいと思う。

作法の第一義的な意味は「もてなし」。

今日、読んでくれている貴方に出遭いましたが、
私も貴方もいずれは木に枯れる一葉のようにこの世を去ることは
同じです。

悠久のときの流れのなかで
こうやって私がお話しし、貴方が聴いてくれている
この偶然の奇跡のような出会いをできるならば意味のあるものに
したい。だから、受けている人にとって
いくらかは意味のあることを話し(述べ)たいのです。

送り手が、書く事を考えるときに、考えなければならないこと
何を伝えるか、そして伝えることが受けてにとって
重要かどうか、よく思慮することは大変に価値があることだと思う。

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