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予言者の役割

佐竹くんという友人がいた。中学生のときだ。

下の名前は、朱色会の本名と同じなので、なぜが気が合い、下校時によく話をした。

当時は、ノストラダムスの大予言とか、ムーとか、
とにかくSFやら世紀末などが特に話題となった。得体の知れないもの。不確かだけど、なんだかかげりのある未来を
思春期に会ったぼくらはなんとなく感じていたのだった。

その当時のノストラダムスの中坊の話題といえば

世紀末、つまり1999年の7の月に大魔王が降りてきて

地球上のすべてを破壊するというものだった。もちろん大魔王が本当に

降りてくるわけもない。んで、では大魔王とはなにかという話題で

その下校時の話題は終始した。

「核ミサイルだろ」

「いや、疫病じゃないか?」

滅亡してしまうのではないかと思われる事態を、徒然なるままに空想し、それを口にした。まるで、自分の身にはそれがおきないと断ずるかのように

そぅ、一般的に、中高生とは、死を意識しない。とくに、その当時の「こども」は
そぅだった。

なかなか結論めいたことにならず、朱色会の玄関が近づいてきたので、

(つまり、佐竹君はあの橋を渡っていく、私の家のほうが学校に近い。)

何らかの結論に導く必要があったので、そのときぱっと浮かんだことを

口にした。そのことを数十年たった私は、なぜか覚えている。

佐竹くんがいったのか?それとも、朱色会がいったのかは

定かではない。

「ねぇ…xxxくん、ノストラダムスってさぁ、予言をあてるためにこんななぞかけ

を残したのかな、そうじゃなくてこのなぞかけを残すことで、僕らみたいに

そこに臨む人々がいろんなことをかんがえるだろ?それによって大きな危機を

回避してくれることを望んでいたんじゃないのかな?疫病でも、核ミサイルでも

そのこのに気づいていながら滅亡したんじゃ。あまりものばからしいし恥ずかしいだろ?」

「…まげだ。(負けたの秋田の方言)」

予言ってそぅなのだと、今も思うのだ。

人類は、いろんな措置を講じて、いろんな危機を回避してきた。それは

想像する力とその想像したものを受け継いでいく力なんだと、

今も思っている。

いま、ブログの世界では日本だけで600万人の発信者がいるという。

そのなかのおよそ600人分のひとりでも、先見性のある発言者がいたしても、

1万人の予言者がいることとなる。

世紀末は、一人の偉大な預言者によってさまざまな脅威を回避した引き金と

なったことは間違いがないだろう。そして、現実として大魔王の出現を阻止できたのは

なぜかと云えば、それは予言の言葉に耳を貸したものが

多かったことと対のことなのだ。

いまは、どうなんだろう。また大いなる危機が(仮に)近づいているとしても

ノストラダムスの10倍すごい預言者がいるとしても、その人のことばに

耳を貸し、ココロにとめる人は、いるのだろうか?

あの日の2人の少年の会話を思い出す度に、…そのことを考える。

--

今日から8月。そして、本日でちょうど、200葉だ。

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