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メディシン・ワードとポイズン・ワード

今日はとてもいいことがあったので、それについて一言。

通勤を一緒にしているNさん(元同期)より、朝のひとことをもらう。

・・・(朱色会)くん。それ、ちょっと音大きいよ。

あ・・・、そう、ありがとう。

もこみちがかけていたSONYのヘッドフォンに良く似たA社のものを

買ってそれで聴いていたのだが、音漏れがひどかったようだ。

自分ひとりでは気がつかない。指摘されて始めてわかった。

うーん。レトロだったのは外見だけではなかったようだ。

それで、これは通勤には使わないこととして、それまでつかっていた

インナーに替えた。

Nさんは、朱色会がハジをかくのを回避してくれたのである。

これが信頼関係というやつだろう。的確な指摘により、朱色会は

通勤のほかの客にこれ以上メイワクをかけることがなくなった。

素直に感謝の意を表した。

このようなちょっとしたことでも、受けての対応は様々だと思う。

いうほうもたとえばちょっと親しくないヒトにはいいづらいし、

いいづらいひとというものもある。指摘は他人のココロをいろいろな方向に騒がす。

そこをあえて注意してくれ、朱色会も素直に応じたというわけだが、

現実問題としてこのようなこと、なかなかスムーズにはいかないものである。

よかれと思って忠告したことを、余計なこととして曲解をうけてしまったりするわけだ

言葉は、受け手によって、薬にもなりえるし、毒にもなりえる。

いまの世の中、言葉だけでなく、人間関係のコミュニケーションがなかなか

取りづらくなっているようだ。

友人同志。親子同志。先輩荒廃(←まちがい、後輩)同志。

恋人同志。夫婦同志。そして、上司・部下など。

すべての関係が希薄になっている。本当に心から話さなくなった。

ココロの衝突による関係の崩壊と消失を恐れているのかな。

逆だとは思う。話し方が足りないから相手が分からない

つまり自分の話を相手に伝えられないし、相手が想っているいること

うまく受け取れないのだ。そんなか細い関係など、ないも同然だ。

コミュニケーションが高度化していたという、古き良き時代は、以心伝心だけで

相手のことがわかっていたという、ちがうとおもう。それは言葉を

発するとき、相手の話しぶりの癖を理解していることと、

相手が話そうとしてるときの振る舞い(目、身振り、表情など)

を良く見ているからこそ、話す前に相手の話そうとしていることが

わかるのだ。

つまり、相手をよく理解していることとは

相手をよくみているということと等価である。

相手を理解しているからこそ、相手のいっていることを理解してみようと

思うわけだ。

つまりところ、朱色会の結論はこうだ。

相手に自分のいっていることが伝わらない⇒自分のことをほとんど相手は、「認識」していない

ただ、誤解のないよう朱色会はことばを重ねておきたい。

コミュニケーションの成功責任は、やはり受けて側に99%責任がある。

相手がどういつつもりでどういう意図で何を伝えようとしているのか

それが意味があることなのか、受けてのどの部分に何を与えようと

託そうとしているのか理解する能力を高めること

そのため、柔軟で多様な懐をもって臨むことはとても重要なことだとおもう。

さて、ここまで読んでくれた貴方にこの言葉が毒となるのか

薬となるのか、試してみよう。

「貴方には、薬のことばをもってきてくれる人が、いますか?」

おやすみ~~。(と、いいつつ書きかけでジムへいく。)

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