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「製造業」の零年

週明けのっけから、朱色会もマジメルな話はしなくないのだが…
月曜日はそれでなくとも読者も憂鬱なのに。
しかし、・・・お許しいただきたい。

昨日は、【北の零年】をTVでぼぅ~と観ていた。

それと現実の社会で思うことを連ねる。

北の零年を観なかったという方は、コチラを(↓)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%81%AE%E9%9B%B6%E5%B9%B4
http://www.kitano-zeronen.jp/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E5%8D%88%E4%BA%8B%E5%A4%89

この物語をみて思うことは、
この21世紀においても、「封建社会」は普遍にあるということを痛切に感じた。

社会歴史学にいうと、封建制度とは、江戸時代までというのが巷の風説であるが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E5%BB%BA%E5%88%B6%E5%BA%A6

いまなお、日本人とはとくに会社に帰属するものは、「主君」をもとめる。

・・これは、サラリーマンをやっている者ならば同意してくれるに違いない。
「偉大な主君への忠誠心」こそが働く自分そのものであると。

北の零年の元お侍さんたちも極寒の大地で、主君をずっと待ち続けた
主君が訪れたとき、何か俸禄があるわけではない。

「苦労をかけたな。」

という言葉をもらうため、凍死者がでる辺境の地でがんばり続けたのだ。

しかし、物語をご覧になった方はご存知のことだが、
主君は、訪れたものの、その言葉を発せず、そして労いのことばも掛けず
自分の故郷に帰ってしまった。

主君不在なり。

そうして、その地にしがみついていたものたちは

「拠り所」を失い、自がためだけの道を他人を省みず、
ばらばらに進んでいく。

ーーーーーーーーー
企業に入る人もそんなところはある。企業を選択するとき、
必ずその会社の創業者の顔を想像し、かつ、その人のしたで働くときの
自分をイメージするのだ。

しかし、この世紀になり、主君は「変わった」

北の零年にでてきた主君のようになってしまったのだ。

「時代がかわった。あとは自分自分が各々の道をいってくれ。」
それらは、具体的な制度として現れつつある。
貴方の会社にも、成果主義とか、競争原理とか
そんな『異形なるもの』として姿を現していることだろう。

北の零年にでてくる家来たちと
21世紀にはいった製造業を始めとしたサラリーマンが
私には重なってみえる。

各々が好き勝手に自分の道を歩いているような気がする。

他人にたいしては利のみを求め、お互いを助け合うという
ことがなくなりつつある。

あの物語は、江戸末期のことをいいたいのがため創られたものではない。

この世のありさまにつき、題材としてあれをつかったのではないか?

個人が利己のみに走った姿はまずは美しくない。
そして、
実はそれほど強くはないのだ。

美しい日本
美しい社会
美しい人間

我々は、まだ、その何たるかをココロに描けるはず。。。
しかし、このまま変わる世の中が進んでいけば

「美しいというもの」の概念すらも「改革」されてしまうことだろう。

・・・私には、それがとてつもなく、恐ろしいのだ。

【北の零年】という物語。あながち、物語ではないのである。

われわれは、いまも、「お殿様」を望んでいる。
朱色会は、そう信じています。

「なにか」を引き戻す時期にきている。

それを引き戻したものだけが

強い日本
強い社会

そして

強い人間

に立ち戻れるのだ。…あの物語の主人公のように。

http://blog-search.yahoo.co.jp/search?p=%CB%CC%A4%CE%CE%ED%C7%AF&ei=

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