カテゴリー「アニメ・コミック」の5件の記事

442葉:あしたのジョー

BS2でやっている「あしたのジョー」はやっぱりいいな。

はまっている。
・・・ベランダが壊れた。BSとCSのパラボラアンテナを固定していた金具
が、腐食と風でぼっきり。
修理せねば。。

応急処置で、針がねで固定する。

汗びっしょりだ。久々にベランダに出ました。夜風が心地いい。

落下したらコトだからな。

・・・短めですみません。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?dtype=2&p=%C9%F7%CD%E8%CB%B7

http://blog-search.yahoo.co.jp/search?p=%A4%A2%A4%B7%A4%BF%A4%CE%A5%B8%A5%E7%A1%BC&ei=

時事ネタでした。

「あしたはどっちだ!」
http://search.yahoo.co.jp/search?&p=%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%A0%EF%BC%81&fr=msie7&ei=utf-8

『泪橋ッ!!』
http://blog-search.yahoo.co.jp/search?p=%DE%A5%B6%B6&ei=

…なんだかんだいって。。。みんな、、みんなぁ好きなんだなあ。
http://tsun153.exblog.jp/3973859

しょこたん。
http://search.yahoo.co.jp/search?&p=%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%93%E3%81%9F%E3%82%93&fr=msie7&ei=utf-8

・・西くん。。西ィ(泣

http://blog-search.yahoo.co.jp/search?p=%C3%B0%B2%BC%B7%FD%C6%AE%A5%AF%A5%E9%A5%D6&ei=

↓(本日の大収穫。

http://blog.goo.ne.jp/stake43/e/e012cc5e82bf2aeb8ef1599cf08b3049

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「CAとお呼びっ! 」 花津ハナヨ

スピリッツは、スペリオールに匹敵する良書になりつつあるが
そのなかでも最近キレにキレまくっているのが

花津ハナヨの「CAとお呼びっ!」だろう。

エピソード『xx』は2週間を経ても朱色会のココロにのこっている
コマがある。

そのエピソードでは、主人公が、先輩として
中途入社のキャリアウーマン志望を飲み会にエスコートし、
会話にて逆襲(切り替えしを受ける)されるというものであった。

思い出してみると
『到達点』
『そのサキがない。』

などの語彙が心に残っている。
読んでない人は読んでほしいが、
かいつまんでいうと

・CAという職をゲットできた娘たちの努力・才能はすばらしいものだ。
・しかし、実はCAになるのは目的ではない。いろいろな『次への』手段だ
・殆どの今のCAは、CAになることが自体を目的(到達点)として
 しまっている
・わたし(中途)はちがう。到達点はさらに『その先』だ
・CAになった理由は、自分に投資してくれる人を見つける(売り込む)
 ためだ。それを足がかりにしてビジネスを起こしたいというのが
 目的で、CAはそのための手段だ。

…と思い出せる限り書いてみた。

朱色会がなぜこのコトバに引っかかってしまったのかというと
その中途が主人公に指摘したコトバは、
私の身の上にもココロアタリがあるからなのだ。

わたしはSW技術者になることが『夢』だった。
そして、入社とともにそれを叶えた。
しかし、SW技術者としてのツールを使って、
人生において「何」を成すのかは…決めていなかった。
つまり、中途に指摘される側の男だったのだ。
ぐぬぬぅ…その反省は、「今」もある。

到達点(目的)の設定は人生のテーマのなかでも
とても難しい課題のひとつといっていいだろう。
「夢」と「日常(現実)」をうまくバランスしないと
うまく転がっていかない。

絵空事だけでは日常のエネルギーとはならないし、
現実に囚われると、夢をみることさえしなくなる

ほんとぅに難しいテーマだと思う。
それを、思い出させてくれたエピソードとして、今もココロに
残って「消えない。」作品だ。
・・・いかん。書いたのでさらに残ることとなった。

ーー
さて、CAは、TVドラマも同時にやっているようだが、
どうにも原作のイメージに、主人公があっていないのと、
かりなちゃんの使われ方がうまくないなと思って殆どみていない。

主演のxxxは、女優として過渡期にあることが間違いないな

少女⇒娘⇒女⇒女性⇒熟女

どこまで演(や)るかわからんが、三つ目の矢印で、かなり足踏みしてる。
そういう使われ方はいずれ破綻する。人間は、変化していくものだ。

ありさ。そろそろ自分でも考えてくれ。
自分がどぅ変わっていかなかきゃならないのかということをね。

ーー
「…到達点か、確かに難しい。」

それにとくに今の世の中においては
夢をかたる物悲しさや青臭さが濃くなりつつある。

しかし、この世のリーマン・リーウーマンにだって誇りはある。
自分のなかで確かに到達するイメージは持っているべきだとは思う。

考えていなかったと自覚できるものは
考えることから始めるべきことだと、ことばを重ねてこの節を
綴じる。

Q。「貴方の『到達点』はなんですか?」

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美味しんぼの『汗』

「美味しんぼ」は、朱色会の好きな漫画だけど、
特に好きなのは、連載初期の第1巻から第3巻あたりまでだ。

…で、最近の作品はあまり心に惹かれなくなってしまった。
なぜなのかちょっと考えてみると…次のようなわけだった。

1.顔からの漫符の消滅
漫符というとよくわからんという読者のために解説すると
いわゆる「汗マーク」である。
と、いうとわかっていただけるだろうか。

当初のキャラクターたちは、その作者と同じで
「直向さ」があったのだ。これはコミックをご覧頂くと
確認しやすい。最近の登場人物は、顔に漫符がないつまり…

「汗」をかかなくなったのだ。

「美味しんぼ」は特に国民的漫画であり、
・サザエさん
・亀有
・ゴルゴ13
と同じ【格】をファンより得ている。

作者・原作者の好き好きに関わらず、続けることを強いられている
そこに、マンネリが介入してきたようである。
とても登場人物が平板になっている。アニメキャラのようだ

最初の汗臭さがなくなっており、これはとっても残念なのである。
朱色会は、山岡ほかの出演者たちのあの「汗」がとっても好きだ。

「作画家のココロは、キャラクターに伝播していくものだ。」
当初のキャラクターは

・売れたい
・有名になりたい
・読者に覚えてもらいたい

という真剣さに漲(みな)ぎっていたとと思う
それは、いまも単行本を読み返すとそれはとても感じる

その一例が、秀逸なる漫符(汗)の表現だった
その作風が、読者の心に進入していったのである。

翻っていまのキャラはどのキャラも顔がきれいだ。
つまり
・悩み
・嘆き
・苦しみ
・悲しみ

がなくなってきたというわけで、それで汗をかかなくなった
作者を悪くいいたくはないが、
作者もそうなのではないかと穿った見方をしてしまう

つまり、漫画に対する新人のときのココロを忘れてしまって
いるのではないか

同じような料理もので朱色会が好きな漫画としては
「味いちもんめ」があるが、こちらのキャラクターは
まだ「汗」をかいている
真面目な汗は、伊藤くん。不真面目な汗はボンさんだ

2.父親との確執からの乖離
山岡と雄山の対決は、いかにして終結するのかは
朱色会がとても憂慮していたことである。
そして、その決着も、食の原点から導かれると考えていたのだが
これは、子供がうまれたことで決着がなされたのであろうか?

朱色会の不勉強なれば、それでいいのであるが
最近はこの線から逸脱し、いたずらに延命(引き伸ばし)を
図っているような気がして、大変憂慮している次第だ。

きちんと決着をつけて、<リニューアル>山岡とゆう子さんを見たい。
余談だが、この作品で一番成長著しいのは、ゆう子さんだ。

繰り返しになるが、連載冒頭の、あのいつくかの汗は
読者に『人生』を教えてくれるほどの「力」をもってい(た)
花咲アキラ氏におかれては、何卒あのときのキモチを取り戻し、
そのキモチを登場人物に再度投影してくれることを望んでやみません。

心配なのは、これをどこかで見た作者が「やっつけ」で、漫符を復活させることだ
読者の願いの本するところは、小手先では復活できない表現者としての
ココロの復元が肝要なことであると受け止めて欲しい。

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絶望に効く薬-125節

…ついに、「自分本人」に逢いにいったか…

山田玲司の最高傑作といっていいのではないか?
ヤングサンデーは、スペリオールなみに良品が多い青年漫画雑誌だが

その中でも一押しなのがこの「絶望に効く薬」
いつもは、コアな有名人に会いに行く。つまり他人のことを
描き、そして思うわけだ。(逆か。)

しかし、本編は、なんとインタピュー対象が「本人」

・常識という名の「情報」のこと
・漫画家(表現者)としての自分のこと

など、カミングアウトなどを交えて深く自分を追及している

実は、漫画とかブログとか表現ゼンブにいえるコトなのだが
連載ものは、乾坤一擲状態とだらだらぁ~んモードという
のが交互に作品に表れるのだ。それは、送り手のほうも
いつも眉間にしわをいれ目を三角にして肩と腕に力を加えて
書いていたのではミがもたないし、受ける方も
いつも唾を受けるわけにはいかない。

読者も、「あっ、今回はゆるゆるなんだね」
と捉えたならばゆるゆる楽しめばいいし、
「おっ、今回はまじまじモードか」
と感じたならば、座布団を用意して正座して背筋を伸ばして
(もちろんココロの中でだが)読むべきだろぅね。

…んで、今回の125節は、ゆるゆるモードではなく、
大真面のまじまじモードである。

是非、今週のヤングサンデーを「購入して」読んでもらいたい。

…と、ここまでは良品の紹介と宣伝であったわけだが、
2つのこという。

1.ジブンを描くこと

表現者も実はこの取材対象は一番身近で把握しているようで
描きにくく、苦手としている。それは、これに類するいろいろな
有名表現者の作品を見るとよく理解できる。たいていが
本当にあの才ある彼が書いたものなのかと思うほど
ホウホウノティの作品となっている。自画像を残さない美術家も多い。
必要以上に誇張したり卑下したり、
なかなかに鏡の中の自分をうまく表現できない。

しかし、本編は表現者の苦悩という切り口でとくに「絵」が
よく描かれていた。山田の味は、やはり、照れや焦りを交えたココロの
描写表現力にあるわけだが、
それをジブンという対象に使った勇気にはまず拍手を送りたい。

2.常識と情報と真実の、娯楽との関係

表現者は、イロイロな責任を担わされる。
全て受け手(金と時間をつかう立場の読者)にとっては

1)おもしろいこと(おもしろいは笑うとは別の意)
2)既知ではないこと
3)わかりやすいということ
・世の中にとって重要であること
・事実であること

だが、困ったことに 3以下についてと1)~3)は
相反することがある。これが悩ましい。

伝えたいことについて、おもしろく描けなかった場合、それを
漫画で伝えることは、編集長である仕事人に没をくらう。なぜならば
「売り上げ」に貢献できないからである。

ジブンが捉えた重要なことを伝えたい。これを商業的に展開
する場合表現者にはとくに悩ましい問題なのである。

なぜか?真実で重要なコトでも、面白くなければ、
漫画であることに関係なく、誌には載せられないからである。
このことに、気づいているヒトは少ない。(…と朱色会はおもう)

漫画だけではない。テレビも、週刊誌も、そして新聞とてそうだ。

情報と真実・表現物、そして何かのくくりで
公知なことと一方的に定義されている「常識」…

いうまでもないことだが、これらは全てことなる顔をもち
同じことを指し示していても、まったく異なる著わしをしている
ことを、
よくよく「受け手」は吟味の上で捉え、確認するべきことなのだ。

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四季賞「CURE」(前邑恭之介)

前邑恭之介氏の「CURE」が【四季賞】を取った。

アフタヌーンは、珠玉な作品が、スペリオール並みに多いが、
「CURE」は、それらのレギュラー作品に引けを取らない出来栄えだった。
うーむ。さすが【四季賞】だ。

実は、あやうくアフタヌーン本誌⇒あとでよむためキープ。
付録⇒どぅせフィギュアでしょ。⇒ゴミ箱行きとするところだったのが

ガソリンスタンドで洗車待ちがながくなったので時間つぶしに
読んでみることになったのだが、洗車が完了したのも分からぬほどに
『入って』しまった。素晴らしい作品だ。

事故+闘病ものだが、少年のピュアな感情が
荒削りな表現のなかにも的確に表現されており、
大変感動した。

特筆すべきは、
病院の生活のリアリティある表現と、主人公の心理描写だ。
まるで、作者が経験したのではないかと思えるほどの
描写力で、それだけでもマンガのテキストと使えるほどだ。

また、映画のようなカットのきり方や
映像表現も素晴らしいといっておこう。

バイプレーヤとして出演している登場人物にも深みがある。
・看護士
・おじさん
・母
・主治医
キャラクターをよく捉えていて、出方のバランスもいい。

まっ、この映像の濃密さを連載でやるのはちょっと贈り手も
そして受け手も大変であり、賞取りとしての作品としてみる
べきところもあるのだが、それはそれとして作品に賭ける
前掛かりなひたむきさが絵にこめられている。

最近、描いていてマンネリを覚える同業者は
初心に帰る意味でも、読んでもらいたい。
もちろんマンガを愛している読者のかたにもお勧めしたいです。

さて、この作品は、アフタヌーン7月号のオマケ別冊です。
是非ご覧ください。

「映画」のような漫画。それが、「CURE」だ。
テレビドラマ化を希望します。

ーー
別冊化したのがいい効果となっていると思う。Vol.2なんだ。
Vol.1見逃したな。

ーー
さて、きっこの薦めたTV雑誌を始めて買って読んでみたんだが…
うーん。どの記事もそれほど「オッ」っというものがなかったんだよね。
きっこの紹介記事も、約6年で、ネット界事情通女王に君臨すること
になった理由の分析もない。
なぜこれほど読者(ブロガ)に支えられているのか掘り下げが足りない
など私が編集長ならばやり直しを命じるのだが…。
映画評はぐずぐずだし、ごめん。もう多分買わない。

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